2014年11月08日

衣笠だけど浦賀の会

「浦賀船渠ノ航跡」が急遽中止になったので、有志の方々のご厚意により開催が決まった「衣笠だけど浦賀の会」に参加いたします。

http://kinugasa.me/

「衣笠だけど浦賀の会」の会場である衣笠「はまゆう会館」の隣の光心寺には「軍艦比叡忠魂碑」がある事が判明したので行ってみます。
 衣笠と言えば、巡洋艦衣笠が有名ですが、実は軍艦の衣笠の名前の由来ははっきりしていません。
 一番有力なのは徳島県の衣笠山とされていますが、古鷹型巡洋艦は古鷹山が呉に、青葉山が舞鶴に縁のある山から命名されているので、衣笠建造時の艤装委員長(初代艦長)が「横須賀の衣笠山からの命名ではないか」と海軍当局に問い合わせたところ、否定はされなかったという話もあります。どう考えても無関係では無いと思われます。

 ちなみに艦内神社は以下の通りでした。

「平野神社」 京都府京都市北区
「走水神社」 神奈川県横須賀市

 京都にも衣笠山があるそうで、その縁で近くの「平野神社」 をお祭りしたのですが、その後横須賀の「走水神社」を合祀したそうです。衣笠にも衣笠神社がありますが無関係でした。

 つまり、軍艦衣笠の名前の由来には3つの候補がある事になりそうです。どれも正しいというのが角が立たなくて良いのかも。

 衣笠と言えば、地質学的にも興味深いです。衣笠山も作っている第三紀の葉山層群には(堆積性)蛇紋岩という非常に珍しい岩石が分布していて、街中にもかかわらず露頭が観察できる場所があるそうです。それもみたい。蛇紋岩というのは、超塩基性岩と呼ばれる地球深部から供給されたマグマに由来する岩石が変質したものです。本来は火成岩なのに何故か衣笠では堆積岩中にブロックとして含まれていて、昔からの謎になっています。
 葉山層群は房総半島にも続いていますが(鋸山のあたり)こっちでも対応する位置に蛇紋岩が出ています。
 更に奥の山地は超塩基性岩で出来ているので、これら由来の蛇紋岩ブロックが海底地すべりで葉山層群の海底堆積物に滑り込んだという話もあります。私は房総は何度も見たけど、近い三浦では一度も見たことがありません。
 蛇紋岩は地すべりを引き起こすやっかいな岩石で、アスベストが産出される事もあります。変質鉱物でテカテカ光る鱗状に見えるので、サーペンティン(大蛇石)と呼ばれました。蛇紋岩はその日本語訳です。
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2014年10月25日

浦賀船渠ノ航跡

11月9日(日)横須賀市産業交流プラザにて開催、横須賀生マレノ艦娘ノ為ノ艦これオンリー『浦賀船渠ノ航跡』に「はるな総研」でサークル参加します。コミPo!艦これ本を持って行く予定です。 http://members3.jcom.home.ne.jp/norigaku/uragasenkyo/
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2014年10月19日

フランス積み(フランドル積み)の煉瓦構造物

古い煉瓦構造物を見学してきました。フランス積み_001.jpg
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2014年09月09日

満月

十五夜は昨日ですが今日は満月。
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タグ:喫茶 お月見
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2014年08月28日

連合艦隊解散之辞

二十閲月の征戦已に往時と過ぎ、我が連合艦隊は今や其の隊務を結了して茲に解散する事となれり。 然れども我等海軍軍人の責務は決して之が為めに軽減せるものにあらず。此の戦役の収果を永遠に全くし、 尚益々国運の隆昌を扶持せんには、時の平戦を問はず、先づ外衝に立つべき海軍が常に其の武力を海洋に保全し、一朝緩急に応ずるの覚悟あるを要す。

而して武力なるものは艦船兵器等のみにあらずして、之を活用する無形の実力にあり。 百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず。 近く我が海軍の勝利を得たる所以も、至尊の霊徳に頼る所多しと雖も、抑亦平素の練磨其の因を成し、 果を戦役に結びたるものして、若し既往を以て将来を推すときは、征戦息むと雖も安じて休憩す可らざるものあるを覚ゆ。

惟ふに武人の一生は連綿不断の戦争にして、時の平戦に由り其の責務に軽重あるの理無し。事有れば武力を発揮し、 事無ければ之を修養し、終始一貫其の本分を尽さんのみ。過去の一年有半、彼の風濤と戦ひ、寒暑に抗し、屡頑敵と対して生死の間に出入せしこと固より容易の業ならざりしも、観ずれば是れ亦長期の一大演習にして、 之に参加し幾多啓発するを得たる武人の幸福比するに物無し、豈之を征戦の労苦とするに足らんや。苟も武人にして治平に偸安せんか、兵備の外観巍然たるも宛も沙上の楼閣の如く暴風一過忽ち崩倒するに至らん、洵に戒むべきなり。

昔者神功皇后三韓を征服し給ひし以来、韓国は四百余年間我が統理の下にありしも、一たび海軍の廃頽するや忽ち之を失ひ、 又近世に入り徳川幕府治平に狃れて兵備を懈れば、挙国米艦数隻の応対に苦み、露艦亦千島樺太を覦覬するも之と抗争すること能はざるに至れり。 翻て之を西史に見るに、十九世紀の初めに当り、ナイル及トラファルガー等に勝ちたる英国海軍は、祖国を泰山の安きに置きたるのみならず、 爾来後進相襲で能く其の武力を保有し、世運の進歩に後れざりしかば、今に至る迄永く其の国利を擁護し、国権を伸張するを得たり。

蓋し此の如き古今東西の殷鑑は為政の然らしむるものありしと雖も、主として武人が治に居て乱を忘れざると否とに基ける自然の結果たらざるは無し。

我等戦後の軍人は深く此等の實例に鑒み、既有の練磨に加ふるに戦役の実験を以てし、更に将来の進歩を図りて時勢の発展に後れざるを期せざる可らず。 若し夫れ常に、聖諭を奉體して孜々奮励し、実力の満を持して放つべき時節を待たば、庶幾くば以て永遠に護国の大任を全うすることを得ん。

神明は唯平素の鍛練に力め、戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ。

古人曰く勝て兜の緒を締めよと。
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2014年08月24日

駆逐艦黒潮の絵はがき

駆逐艦黒潮の進水式記念絵葉書は、艦これ公式マンガで触れられていたような鰹の一本釣りだけではなく、洋上を疾走する駆逐艦のカッコ良い絵柄もあります。絵はがきは一種類だけでは無く、二枚組になっていたのではないかと思われます。だから黒潮ちゃんは悩む必要は無いのです。\(^O^)/
(ファミ通コミッククリア「特型駆逐艦 吹雪頑張ります!」桃井良太 DMM.com 角川ゲームスより)
黒潮マンガ.JPG黒潮1.JPG黒潮2a.jpg



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2014年08月16日

コミケ1日目

今回はTADが落選したので通常合体している「すーぱーがーるかんぱにー」だけではスペースが足りず、同じ並びの衛星通信社さんに居ました。
写真はすぱーがーるかんぱにーで売り子をしてくれたスペイン人の女の子ルキちゃん。ご覧の通りの可愛らしさで目立っていました。2日目は自分はコミケ参戦しませんが、ルキちゃんはDMMの企業ブースで公式コスプレイヤーやっています。友人の話によると、通りかかった女子高生くらいの女の子が「謎の美少女がいる!」と言っていたとか。
3日目のはるな総研はむさ苦しいオッサンのみの売り子です。申し訳ない。('-'*)
ルキちゃん.JPG
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2014年08月09日

コミックマーケット用サークルポップ

よろしくお願いします!ポップ_001.jpg
タグ:コミPo! 御宅
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2014年08月02日

艦娘の生まれ故郷

コミックマーケット86参加「はるな総研」日曜日東地区"ロ"ブロック19a
コミックシーケンサ「コミPo!」を使用した艦隊これくしょん聖地巡礼本を頒布予定。
このブログの内容をまとめたものです。艦娘の生まれ故郷表紙_001.jpg艦娘の生まれ故郷.pdf

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2014年07月26日

航空母艦南極を征く

「日本機械学会は23日、歴史的に意義のある「機械遺産」に、日本初の南極点到達を果たし、にかほ市黒川の白瀬南極探検隊記念館で展示されている雪上車「KD605」と、国立極地研究所(東京)にある「KD604」を認定した。南極観測での功績と、国産雪上車の機械技術史における重要性が評価された。雪上車は1968年、第9次観測隊による南極点往復探検調査に使われた4台のうちの2台で、同年12月19日に南極点に到達。翌69年2月15日に昭和基地に戻り、約5カ月間、往復約5200キロに及ぶプロジェクトを支えた。第10次観測隊では、日本初の南極隕石(いんせき)発見を果たした調査旅行も担い、その後も長く隕石探査に使われた。」(さきがけonTheWebより)

機械遺産となった、南極点到達した雪上車にはパーソナルネームがありました。「第1戦隊」604号(隊長車)瑞鶴、603号蒼龍、「第2戦隊」605号翔鶴、606号飛龍。なぜかというと村山隊長がかつて海軍大尉であり瑞鶴に乗り組んでいたからです。雪上車は時に旭日旗を掲げて南極を踏破しました。
南極観測は海上自衛隊の支援によるもので、旭日旗(自衛艦旗=軍艦旗)は不自然ではありませんが、こう聞くと全く違った印象を受けますね。('-'*)

白瀬南極探検隊記念館は何年か前に行きました。白瀬中尉の出身地なのです。行ったのは日曜日だったのですが、本当に閑散としていて、最後まで自分1人でした。りっぱな施設なのでもっと賑わうと良いですね。
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KD60型雪上車は数千キロという長距離を走るので車体は居住性を重視しているようです。寒冷対策なのか鋲接部が多く本当に軍艦みたいに無骨です。
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にかほ市にあるのは605号車「翔鶴」です、極地研に保存されている604号車は「瑞鶴」ですね。バックアップ車が「蒼龍」と「飛龍」なのが面白いです。やはり「5航戦の娘と一緒にしないで?」
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足回りはなんとなく74式戦車を連想しました。メーカーは小松製作所です。
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内部の様子です。当時はGPSも無いので天測によって、船のように場所を測定して進んだようですね。
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こちらは極地研の604号車「瑞鶴」です。
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南極点到達の模様、本当に巨大な旭日旗が。。。素晴らしい!!ところで、雪上車は目立つようにオレンジ色に塗装されている事が多いのですが、南極点を目指した時はなぜこんな暗色に塗られていたのでしょうね。何か理由があると思うのですが。(追記:太陽光線の熱を少しでも吸収するためだったそうです。外が零下数十度でも日が照っていると内壁が暑いくらいに効果あったらしい)
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もっと詳しく知りたくて、村山隊長の著書「南極点への道」朝日新聞を読んでいます。 村山隊長は東京帝国大学の経済学部を繰り上げ卒業し、そのまま徴兵されるよりはと海軍の短現主計科士官(中曽根康弘はこちらでした)に志願しましたが、こちらは落ちてしまい、その代わりに海軍予備学生1期(通信)に採用されて、戦艦長門、空母瑞鶴、戦艦武蔵等に乗り組みました。途中から内地の航空隊で教官となったので戦死せずに済んだと語っています。
元々、登山とスキーをやっており、中学校の英語の先生がなんとシャックルトンの部下の1人だったという縁で南極にも早くから感心があったそうです。戦後は商社に就職しましたが、1950年代のヒマラヤ・マナスル隊にも加わっています。南極観測隊の隊員は学者が多いのですが、村山氏はバリバリの実務派で登山家といったところですね。
さて、何で南極観測が海軍色が強かったというと、登山経験者が多く登用されましたが、初期のリーダーの1人であった西堀栄三郎が「やはり南極は海軍さんの方がええやろ」とやってきた村山氏に「飛んで火に入る夏の虫や」と言ったそうです。
 宗谷を運航させた海保もふじの海自も海軍直系ですから適確な判断、という訳で初期の南極観測は元海軍軍人が多く参加しました。村山氏は設営を担当しましたが、何からの学術機関に所属しないと駄目なので、商社から横浜国立大学に転職しました。最終的には南極のエキスパートとして極地研の教授になっています。

先の極点での巨大な旭日旗は、日本側のものではなく極点基地のアメリカ側が準備したものだとのこと。面白いですね。
タグ:科学 海軍
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