
一昨年、大戦末期に、福井・小浜湾で米軍が航空機から投下した機雷で、36人が犠牲になった帝国海軍の駆逐艦「榎(えのき)」を伝えようと、旧制小浜中の卒業生でつくる「榎会」が漫画「ぼくらの駆逐艦・榎−戦後70年の証言−」を自費出版した…というのをTwitterで今更ながら知ったので、通販をお願いして本が届き、先ほど読了いたしました。

この本は、大戦末期に戦闘力を失い、米軍の攻撃になすすべも無くなっていた海軍艦艇の状況を軍人だけでなく、陸で見守っていた学生の証言等も交えて臨場感溢れる内容です。そして、内容が貴重なのはもちろんですが、マンガとしても、とても面白いのです。すごく構成が上手だなと感心しました。
駆逐艦榎は改丁型(橘型)駆逐艦であり、昭和20年3月31日に舞鶴海軍工廠で竣工しました。瀬戸内海での訓練後に再び日本海側に回航されて第十一水雷戦隊に配備されました。そして昭和20年6月26日に小浜湾で蝕雷、大破着底して戦後解体されました。竣工からわずか87日間というのは帝国海軍の駆逐艦でもっとも短命でした。すでに機雷封鎖によって近海の行動さえも自由にできなくなっていました。

残念ながら駆逐艦榎の写真は見つける事ができなかったので、榎の直前に同じく舞鶴工廠で竣工した同型艦楡(にれ)の写真を載せました。駆逐艦榎も同じスタイルだった筈です。

駆逐艦榎が護っていた巡洋艦酒匂です。阿賀野型の4番艦で、水雷戦隊旗艦として建造された強力な巡洋艦でしたが竣工後はすでに指揮をする実戦部隊は存在せず、日本海側でほとんど動かず、無傷で終戦を迎えました。アメリカに接収されて、戦艦長門と共にビキニ環礁の原爆実験で沈みました。同型艦の矢矧は戦艦大和と共に戦没しています。

駆逐艦榎と同じ第十一水雷戦隊に属していた同型艦の初桜は後に横須賀に移りました。終戦後に連合軍の艦隊との連絡艦として最初に接触する役目を果たしています。


余談ですが、駆逐艦榎と同じ改丁型(橘型)の駆逐艦梨(なし)は瀬戸内海で航空攻撃で撃沈されましたが、昭和29年にサルベージされて、海上自衛隊護衛艦「わかば」として再生しました。帝国海軍の血の一滴は、駆逐艦榎の姉妹を通して海上自衛隊に受け継がれているのです。