2020年10月01日

映画テネット(TENET)

以下の内容には映画のネタバレ要素があります。
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テネット時間の概念_001.jpg
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2019年10月22日

吾妻ひでお先生ご逝去

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(2019/10/21のNHKの報道より)

 昨日、友人から吾妻ひでお先生が亡くなったと連絡があり、まもなく各メディアから報道がありました。ニュースは非常に広範囲で扱われており、吾妻先生の作品の影響力を改めて感じました。半月ほど前に、緊急入院されたと聞いて心配していたのですが。まことに残念です、御冥福をお祈りいたします。
 永らく吾妻ひでおファンダムを運営していて、一昨年亡くなった、後藤修一氏の遺品を整理していて見つけた吾妻先生の複製版画を引き取って、不条理日記完全版読了記念として壁に飾ったところでした。その次の日の台風の最中に先生は亡くなったのですね。実は緊急入院の話が深刻そうだったので、吾妻先生お亡くなりになるんじゃないかという予感はちょっとありました。でも現実になってしまうと本当にショックです。前にも書いたように、現在、後藤氏の遺品整理をしているのですが、それは吾妻ひでお作品の整理をしていると言っても過言ではなかったりするので尚更です。
 吾妻先生の「失踪日記」がイタリアの賞を受賞してましたが。翻訳されたのは今年だったそうで、それが直ぐに評価されるだけのポテンシャルがある訳ですね。報道が「失踪日記」を代表作にしていましたが、それも仕方がない事でしょう。出版された直後から話題になって、どこの書店でも平積みで置かれていた時は本当に嬉しかったです。日本でもあらゆる賞を受けていたし。それまでの大変な(ご本人にとってもご家族にとっても)時期があったので尚更です。
 でも、「失踪日記」が代表作というのに違和感があるというのも判らないでもありません。若い人に説明するのは難しいけど、ある時期のオタク業界は読者も作者も大なり小なり吾妻ひでおに感染していた印象でした。吾妻ひでおが居なければ「美少女」や「萌え」といったコンテンツは今とは違ったものになっていたかもしれない。現在のアニメやマンガの多くが吾妻ひでおの恩恵を受けていると言っても過言ではありません。その点ではマンガの神様手塚治虫に匹敵する存在ですし、その漫画の神様でさえも吾妻ひでおの影響から無縁ではなかったと私は思っています。
 吾妻ひでおの作品を読んで無い方には、出たばかりの「不条理日記(完全版)」(復刊ドットコム)をお薦めします。個人の感想ではありますが、吾妻ひでおのエッセンスが濃厚に詰まった作品が集まっています。吾妻先生の作品は多くが入手可能です。ぜひ読んでみて下さい。読んでない人がうらやましいくらいです。

吾妻ひでお先生のお葬式については以下のようにTwitterで案内されていました。

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お別れの会には是非参加したいと思います。

 以前に、吾妻先生の同人誌頒布のお手伝いをして、描いて頂いたミャアちゃんの絵があるんですが。これを模写したものが私のアイコン絵になっています。メチャメチャヘタだけど。(^_^;
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2019年03月03日

駆逐艦不知火の錨

先日、海上自衛隊の「あさひ型」汎用護衛艦「しらぬい」が就役しました。「しらぬい」は漢字で書くと「不知火」であり、帝国海軍時代の駆逐艦を含めると三代目になります。両国で初代の錨が保存されていると聞いて行ってきました。
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場所は両国小学校です。両国小学校は小説家芥川龍之介の母校であり、その文学碑があります。駆逐艦不知火の錨二つがその脇に展示されていました。道路から見ることができますが現在はネットが張られていてやや見にくくなっています。
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錨は2つあり、保存状態は比較的良いです。これは1つ目。
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2つ目の錨です。
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錨の由来を書いたプレートもあります。除籍されたときに購入してスクラップとして解体した業者がたぶん隅田川沿いにあって、近くの小学校に寄贈したようです。
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錨の上部。不知火の錨は「マーチンスアンカー」という形式で大きさは違いますが戦艦三笠の錨とほぼ同形式です。上部に鋭角的な突起(ストック)があるのが特徴で、主に19世紀後半の艦艇で多用されましたが、20世紀に入ってからストックレスアンカーにとって代わりました。
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中部。やや旧式な形式の錨であると言えるでしょうか。
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下部。確認出来ませんでしたが、刻印があり、BROWN LENOX & C(ブラウン レノックス社)というメーカー名と1898年という製造年が読み取れるそうです。
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初代駆逐艦不知火は東雲型の4番艦で1899年5月13日、イギリスのソーニクロフト社で竣工し、当初は水雷艇とされたが後に駆逐艦に類別された。1904年、日露戦争が勃発した際には第2艦隊第5駆逐隊に所属しており、旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦、樺太の戦いなどに参加した。1922年4月1日、特務艇に編入。1923年8月1日、雑役船に編入され、1925年2月25日に廃船となった。 326トン、30ノット。日本最初の駆逐艦グループ12隻のうちの1隻だった。艦首がタートルバックになっているのは最初期の駆逐艦の特徴です。
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駆逐艦不知火(しらぬい)三代は駆逐艦の歴史を体現していますね。新しい「しらぬい」の活躍を祈ります。

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2018年07月22日

ヒットラー少年

後藤修一さんがお亡くなりになりました。非常に残念です。御冥福をお祈りいたします。
後藤さんには色々な側面がありますが、水木しげる先生の感想をご紹介しましょう。

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『日本読書新聞』1984年4月30日号
「わが友 ヒットラー少年 鬼太郎と桃太郎をあわして……」

 後藤修一氏は、一四、五年前だったか、ぼくが「ヒットラー」をかこうとしたとき、桃太郎のような顔をして突然現れ、「ヒットラー」の漫画が出れば世界中で、ぼくが一番喜ぶでしょうな」といったような、独話とも夢話ともつかぬ言葉を発し「ヒットラー」のストリーについて、無料で全面奉仕するから協力させてくれということだった。
 たしか高校三年位だったろうか、話をきくと「ヒットラー」のこととか、戦争のことなどだけでなくドイツ文化≠ノついてもくわしかったとつけ加えておく。氏は、それ以来毎週のようにあらわれ、ヒットラーについてのシナリオやら助言を桃太郎のような顔つきで、されるのだった。
 我が家では誰いうとなく、氏をヒットラー少年≠ニ呼ぶようになった。それほど氏は、ヒットラーについてくわしく……というより「ヒットラー」から生まれた少年みたいだった。その頃、「漫画サンデー」に連載していた「ヒットラー」が長かったから、しぜん親しくなり横浜の伊勢佐木町のハンドバックやカバンを売っているお店にうかがった。ハンドバック屋の三階の屋根裏部屋みたいなところが氏の部屋だった。一人息子らしく部屋を全部占領していてかなり広く、友達なんかいてにぎやかだった。氏は鬼太郎と桃太郎を合わしたみたいな顔でニヤニヤしておられたわけだが、世の中には変わった少年もいるものだというのがぼくの印象だった。
 話は戻るが、二、三年前からぼくのアシスタントの友人と称する丸坊主の男が、ぼくの家に出入りしはじめていた。とにかく、入道のような坊主で下駄をはいていたのだから、ひどく目立つ。又この坊主はよく電話をかけてくる。その電話のかけ方が、少年とは思えぬほど落ちついているのだ。世の中には面白い人がいるものだと思っていると、なんとこの坊主は「ヒットラー少年」の知合いだったと聞いておどろいた。しかも、お互にかのゴジラとかキングコングといった特集もののなどについて、バカにくわしい。しかも、その坊主が日本で一番くわしい、という話をきかされ二度おどろいた。
 その後「ヒットラー少年」は、ナチス時代の軍需相のシュペーアとか、親衛隊長ヒムラーの娘などとドイツに行って話をしたり、日独協会の青年部の委員長になったりして、大へんなドイツ通になっておられる。全く年月のたつのは早いものだ。マスコミのみなさま「ヒットラー」のことについて知りたいことがあったら、ゼヒ後藤修一氏にきいて下さい。

水木しげる
マンガ家

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2018年03月31日

柳原良平アートミュージアム

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2015年にお亡くなりになった、船舶マニア(自称船キチガイ)である画家柳原良平氏の作品や遺品を展示する博物館がオープンしたので、早速行ってまいりました。
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実は私は結構柳原氏の本を持っています。しかも、これらは小学生の頃からの愛読書でした。「船の本」は何度読み返したか判りません。私は船が好きですが、それは柳原氏の影響が大きいと思います。船の特徴を捉えつつ、デフォルメされたイラストも大好きでした。
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ミュージアムはみなとみらいにあります。みなと博物館に併設されているのです。日本丸の周囲は桜が綺麗でした。なぜかZ旗も翻っています。
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この鮮やかな色の桜は横浜緋桜(ヨコハマヒザクラ)という横浜で生まれた品種だそうです。
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染井吉野(ソメイヨシノ)も満開でした。
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旧横浜船渠の第一ドックに保存されている日本丸がお出迎え。みなと博物館と柳原良平アートミュージアムは同じ場所にあります。
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みなと博物館と入口も共通でした。
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キャプテン・アンクルもお出迎え。今日は横浜市民はみなと博物館も含めて無料だそうです。先着200名に記念品を渡すイベントもあったらしい。展示は多岐にわたるものでした。柳原氏の初期の作品も多く展示されていました。多くの人はデフォルメされたイラストのイメージが強いと思いますが、初期の作品はカッチリ描かれたリアルなものが多いです。非常に多才な方であり、職業画家、イラストレター、商業デザイナーだけでなく、アニメーターであり、漫画家でもあり、エッセイストでもありました。特撮映画まで自主制作されています。そして、何よりも「船キチガイ」でした。昔はキチガイという言葉はネガティブなイメージばかりではなかったのです。柳原氏は船の本で「船キチガイ」について書かれているので引用してみます。これは1968年に出た本である事を念頭において読んで下さいね。

今、子供に人気のあるのは怪獣である。ギララ、バルゴン、ウルトラマン……。さてこういう子供の中でサラリーマンになってもまだ怪獣が好きなのがいたらどうだろう。彼はきっと怪獣キチガイのレッテルをはられ、みんなから変わり者だと思われるに違いない。ボクの船キチガイはそれだ。子供ならばちっとも不思議じゃないが、大人になるまでしつっこく好きでいた事が変テコなのである。だいたい大学の受験勉強をする頃になってもまだ子供の遊びの消えないヤツはキチガイの域に入ってきたと見ていい、とボクは結論を出した。

まさに現在の「オタク」を予言したような文章ではありませんか。

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柳原良平アートミュージアムオープン記念限定メニューのトリスハイボールだそうです。これは飲むしかないですね。トリスを飲んでハワイに行こう!!です。
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実は私はもうかなり前になりますが、柳原良平氏に一度だけお会いした事があります。関内の本屋さんで買い物をした帰り、同じビル内の画廊で柳原氏の個展が開かれていたのです。入って絵を眺めていたら、受け付けの女性が「今日は初日なので奥で立食パーティーをやっています、よろしかったら参加されませんか」と言われて、恐る恐る会場に入ったら、柳原氏がいてニコニコと「よくいらっしゃいました」と挨拶されました。凄く緊張していたので「ありがとうございます」と言っただけでしたが、本当は、子供の頃からファンでした、あなたの著書を読んで船が好きになりましたと言いたかったのです。


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2018年03月25日

金色の錨(航空母艦ロナルド・レーガン)

桜をみに横須賀に行ってきました。ヴェルニー公園は桜と軍艦を一緒にみる事ができます。
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なかなか良い雰囲気ですね。
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昔から桜と錨は海軍の象徴ですね。
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せっかくなんで軍港巡りにも行ってきました。航空母艦ロナルド・レーガンが停泊していました。アイランドに足場を組んでメンテナンス中のようです。
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観ていて不思議な事に気がつきました。レーガンの錨が金色なのです。
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正面からみると片側だけが金色です。反対側は艦体と同じ色ですね。どうもペンキ塗り立てという雰囲気がしないでもありません。
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果たしてこれは何なのでしょうか?調べてみたら次のような記述が英語版ウィキペディアにありました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Retention_Excellence_Award

「Retention Excellence Award」というのがあるようですね。以前は「Golden Anchor Award」と言われていたそうです。年間でもっとも乗員定着率が高く乗艦志願者も多い艦に与えられる賞で、錨を金色に塗る栄誉が与えられるとのこと。乗員に人気のある艦という事でしょうか?

駆逐艦だったら楽そうですが、レーガンクラスの艦の錨を塗り替えるのは大変そうですね。

アメリカにドナドナされていったフィッツジェラルドに換わって、シンガポールからドナドナされてきたマケインが現在入渠中です。
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楽しい午後でした。
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2017年11月26日

本日の駆逐艦フィッツジェラルド

損傷していた駆逐艦フィッツジェラルドをアメリカ本国へ回航するために重量物運搬船への搭載はすでに完了しています。今日はそれが観たくて横須賀軍港巡りの観光船に乗ってきました。ちょっと方向が悪いのと距離があるのでコンパクトデジカメではこれが精一杯でした。それでもこれだけ大きな艦を別な船に搭載するのが観られるのは貴重な経験です。
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2017年08月06日

鎌倉シン・ゴジラ幻想

ちょっと時間があいていしまいましたが、鎌倉のシン・ゴジラ聖地巡礼写真です。

ゴジラ第四形態出現シーン。江ノ島の脇を通過して鎌倉に接近。
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江ノ電長谷駅付近、人々が避難していたシーンに登場。
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ゴジラが鎌倉に上陸した場所。
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ゴジラが陸に第一歩。手前の船も登場していた。
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文学館付近。ゴジラは江ノ電に沿って進行していたようだ。
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鎌倉駅南側の商店街、ゴジラの尻尾が上を通過する。この辺りからゴジラは横須賀線にそって進行。
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横須賀線にそってゴジラは北上して亀ヶ谷の切り通し付近を越えて北鎌倉方向に抜けたと思うのだけど、巨体での山越えは大変だったのではないかと思います。
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本日の駆逐艦フィッツジェラルド

本日の駆逐艦フィッツジェラルドです。横須賀基地の第四船渠に入渠中でした。
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第四船渠は帝国海軍が明治時代に作った大型船渠で、後に拡張されて明治時代の戦艦や装甲巡洋艦が入渠できるようになりました。昭和の頃は重巡洋艦クラスが主に入渠していたようです。
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2017年07月11日

日本郵船美人三姉妹

横須賀美術館の特別展は横須賀らしく「美術で巡る日本の海」でした。海に関連した絵画等が色々と展示されていたのですが、小磯良平のこのポスターは有名ですね。日本郵船の新鋭客船「新田丸」「八幡丸」「春日丸」を美人三姉妹に擬人化したもの。ちなみに彼女達の頭文字を合わせるとNYKとなって日本郵船の英語略称になります。艦これ提督ならばもちろん春日丸(航空母艦大鷹)はご存じでしょうけど、他の二人も航空母艦沖鷹(新田丸)、航空母艦雲鷹(八幡丸)となりました。そして全て戦没したのです。
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