2013年05月24日

パンツァーリート武装親衛隊バージョン

HIAG(武装親衛隊の旧隊員による互助会)の歌集にあったパンツァーリートの歌詞です。先に紹介したパンツァーリートを初期タイプとするとこれは後期タイプに相当します。歌詞がかなり変わっています。歌いやすく言葉が変えられているのと、戦う敵に戦車が含まれているのが明らかです。


Ob's stürmt oder schneit,
Ob die Sonne uns lacht,
Der Tag glühend heiß
Oder finster die Nacht.

Bestaubt sind die Gesichter,
Doch froh ist unser Sinn,
Ja unser Sinn;
Es braust unser Panzer
Im Sturmwind dahin.
(繰り返し)


Mit donnernden Motor,
So schnell wie der Blitz,
Dem Feinde entgegen,
Im Panzer geschützt.

Voraus den Kameraden,
Im Kampfe ganz allein,
Ja ganz allein,
So stoßen wir tief
In die feindlichen Reihn.
(繰り返し)


Wenn vor uns ein feindlicher
Panzer erscheint,
Dann Vollgas gegeben
Und ran an den Feind!

Was gilt denn unser Leben
Für unsres Reiches Heer,
Ja Reiches Heer?
Für Deutschland zu sterben
Ist uns höchste Ehr.
(繰り返し)


Mit Sperren und Tanks
Hält der Gegner uns auf,
Wir lachen darüber
Und fahren nicht drauf.

Und schüttelt er grimmig
Und wütend seine Hand,
Ja seine Hand,
Wir suchen uns Wege,
Die keiner sonst fand.
(繰り返し)


Und läßt uns im Stich
Einst das treulose Glück,
Und kehren wir nicht mehr
Zur Heimat zurück,

Trifft uns die Todeskugel,
Ruft uns das Schicksal ab,
Ja Schicksal ab,
Dann ist unser Panzer
Ein ehernes Grab.
(繰り返し)
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2013年05月18日

NS歴史紀行

昔作ったドイツ旅行のビデオ集「NS歴史紀行1」はヒトラーの山荘ベルクホーフ跡等の映像です。続きの「NS歴史紀行2」はヒトラーが生まれてから第一次世界大戦出征までに住んだ場所が殆ど網羅されています。アップしたらドイツからブロックされた。ただの普通の観光旅行の素人ビデオだから、Hi8で画質は悪いしカメラワークは酷いし。思想的に危ないところなんて欠片もない、だぶんないと思う、ないんじゃないかな、まあちょっと覚悟はしておけ。('-'*)

NS歴史紀行1

NS歴史紀行2


映像は低レベルですが、内容は充実していると思います。「アドルフ・ヒトラー: ジョン・トーランド(集英社文庫) あたりを読んでみると結構面白いかも。コンテンツの一部を削除したらドイツのブロックが外れました。('-'*)
タグ:歴史
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2013年04月06日

付加体の地質学

秩父帯や変成を受ける前の三波川帯の堆積岩類は「地向斜」と呼ばれる海域において,その場で形成された一連の堆積物であるいう説が,かつては主流であった.
しなしながら,現在はプレートの移動に伴って運搬されてきた堆積物が,海溝でのプレートの沈み込みに伴って,剥ぎ取られて集まる「付加体」説が有力となっている.
付加体について,簡単に説明すると以下のようになる.
プレート説によると,地球の表面は複数のプレートから構成されており,海嶺で生まれた海洋プレートは,最終的に海溝で,大陸プレートの下に,あたかもベルトコンベアーのように潜り込むと考えられている.
プレートの運動は,非常にゆっくりとしたものであって,海洋プレート上には,プレートが形成されてから,海溝に潜り込むまでに,数億年が経過し,多くの物質が堆積する.
これを,ごく単純に模式化すると以下のようになる.
海洋プレートが形成される中央海嶺付近は,火山活動が活発で,近くには堆積物の供給源となる陸地が存在しないので,海底火山の活動に伴う溶岩や,火山砕屑岩類が堆積する.これらは緑色岩の源岩となるものである.
その後,海洋プレートは深海底の環境が長く続くが,やはり陸域からの堆積物の供給源がないので,堆積するのはチャートや石灰岩の一部の元となる海を浮遊する微生物の殻などである.
また,海洋域にはホットスポットと呼ばれる,火山活動が盛んな地点があり,そこで海底火山が成長して島となると,その周囲の浅い海には,珊瑚礁が形成されて,石灰質の生物の遺骸が積み重なって石灰岩となる.
海洋プレートが海溝に近づくにつれて,陸域にも接近するために,頁岩や砂岩の源となる,泥や砂といった一般的な堆積物も供給されるようになる.
これらが堆積した場所や時期は,多岐に渡るが,最終的に海洋プレートが
深部向かってに潜り込む際に,大陸側のプレートの端がエッジとして働き,堆積物をかきとって集めるように働く.
その結果として付加体(accretionary prism)と呼ばれる,堆積物の集合体が形成される.
付加体の堆積物は,集積の過程でいったん深部に引き込まれるので,その際に脱水と激しい変形を生じる.また,元々別な場所にあった堆積物の塊が集積するので,同時に堆積したユニット内では岩相の連続性が認められても,異なったユニット同士では,岩相や構造が大きく変化する.
付加体起源の地質では,地層が激しい変形を受けている場所がしばしば認められており,広域での走向・傾斜は非常に把握しにくく,地層の連続性も悪い.そのために地質図学的な推定が困難である.
このために,踏査にあたっては,可能な範囲で,できるだけ露頭を観察して,岩相の正確な分布を把握するように努める必要がある.
付加体に多いのは中・古生界の泥質岩(頁岩・粘板岩,千枚岩),砂岩,チャート,石灰岩,緑色岩である.
付加体1.JPG
付加体2.JPG
タグ:科学
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2012年12月15日

八甲田山死の彷徨

 ガルパンに触発されて、映画「八甲田山」のシナリオを読んでから,改めて新田次郎「八甲田山死の彷徨」を読了。カシミール3D表示機能を駆使して,5連隊と31連隊の経路をトレースしながら読んでいました。
 それにしても,今の感覚でみると5連隊は青森の目と鼻の先で遭難している。道に迷わなければ数時間で帰営できた距離だし,目と鼻の先には湯治場もあった。本当に同じ場所をぐるぐる回っているだけで,見ていて痛々しく感じました。地図と磁石で乗り切ろうとして,経験ある案内人を使わなかったのが最大の過失でしょうね。
 10日以上という長期の雪中行軍に充分備えていた31連隊に対して,1泊の行軍しか想定せず装備不充分だった5連隊が遭難したのは当然かもしれません。
 気象条件も悪かったですね。5連隊を襲った寒気団が,北海道の旭川で−41℃という,今でも破られていない低温日本記録をもたらしたのが,まさに5連隊が遭難した1902年1月25日の事です。何という不運でしょうか。
 チェックした気象庁のデーターベースに,当時の日最低気温記録が入っていないのが残念ですが,青森でも同日に最高気温が低い方から8番目という記録が残っています。その日の最低気温が市街で−15℃以下だったのはまず間違いありま
せん。八甲田山では−20℃以下まで下がったと思われます。まさに天は我々を見放したとしか言いようがありません。
 この小説で注意すべきは,遭難の事実は概ね正確だけど,その背景とか人物描写はあくまでもフィクションだという点です,人物名は仮名になってますし,映画はそれが更に甚だしい。それでも面白いですが。

 せっかくだから、寒そうなマンガもどうぞ。(笑)

スターリングラード冬景色_001.jpg
タグ:軍事
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2012年07月15日

うぽって!!

うぽって!!はアサルトライフル擬人化アニメというトンデモない作品。FAL先輩がなかなか可愛かったです。私はFALをいっぺん撃ったことがあるので結構楽しかった。その時の体験記の再録。もう15年くらい前の話。
銃を撃つ(オーストリア陸軍での射撃)
誰もが知っているように、日本では銃器の所持がきびしく制限されている。狩猟用の銃も持つのはなかなか大変だし、短銃や機関銃、自動小銃などを持つのは不可能だ。昔は自衛隊の基地祭とかで小銃を撃たせてくれたそうだけど、今だったら考えられない。こういった銃を撃ったことのある日本人は、警察官や自衛隊員に限られるだろう。その代わり、非常に精巧なモデルガンが発達しているのもいかにも日本らしい現象と言える。私は東京マルイ製のH&K MP5を持っているのだが、フランクフルト空港で空港を警備している、国境警備隊員(機関短銃で武装している)の持つMP5がどう見てもエアガンと見分けがつかなった記憶がある。強い言えば、本物の方が仕上げが雑に見えるくらいか(笑)。
もちろん、一般の日本人でも海外に行けば合法的に銃を撃つことができる。しかし、私個人としては、単に銃を撃つために旅行をするのは馬鹿馬鹿しく思っていた。これは単に情熱の問題もあるのだろうけど、射撃ツアーが結構高価で、オプションとしてグアムあたりで売ってきた人の話しを聞いても、それほど面白い銃はなかったようだった。以下の経験は、だから多少銃に興味があるものの、本物に触った事もない素人が、いきなり銃を撃たせてもらった感想を述べたものである。全く銃に触った事もない人が大部分だろうから、それなりに面白いのではないかと思う。
事の始まりは、昨年のドイツ・オーストリア旅行である。これは2回目で、友人のO氏、B氏と一緒に、車でドイツ南部とオーストリアを巡った。O氏はドイツの滞在歴も長く、言葉も堪能で、お世話になりっぱなしだった。私はもっぱらドライバー。ドイツ語駄目だから、大学でやった筈なんだけどね(笑)。主な目的は軍事史に関連した場所とか、博物館を見学する事である。ドイツ南部、バイエルンのミュンヘンからオーストリアのリンツに着いたときの事、リンツでの目的はお墓参り、リンツは、かつてドイツ第三帝国の総統アドルフ・ヒトラーが少年時代を過ごした街で、その両親の墓は郊外のレオンディングにある。
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ウィーン方面へ向かうアウトバーンから分岐して、チェコのプラハ方向にちょっと行くと、ドナウ河に沿ってリンツの街が広がっている。ブルックナーホールの隣の見晴らしの良いホテルにチェックインすると、しばらくして地元のWさんがやってきた。彼はO氏の古くからの友人である。彼は我々を見るなり、すぐに出かけようという。なんでも、地元の連隊の射撃場の年に3日だけの一般公開にあたっていて、いくらでも銃が撃てるという。というわけで、そのまま出かけることになった。こ、こころの準備がぁ〜(笑)。時間があるから、お墓参りだけ先に済ませておいでというので、射撃場の場所だけ教えてもらって、レオンディングに向かう。幸い、射撃場はレオンディングのすぐそばだった。去年も走ったので、場所はすぐに判り、道に車を停めて墓地へ、途中に前を通った、かわいい家は、ヒトラーが小学生時代に住んでいた家である。墓地は道を隔てた前にある。去年と同じく、墓には奇麗に花が飾られている。我々は、日本から持ってきた、靖国神社の桜をお供えした。
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射撃場に戻ると、さっそく受け付けでチケットを買う、弾代だけ払うことになっているのである。結局、百数十発撃ったのだが、支払った金額は300シリング(3千円)くらいだったと思う。友人がグアムで小口径の短銃をちょっと撃っただけで2〜3万とられたと言っていたから比べ物にならない。もっとも、こっちは営利目的じゃないけれど。本当は外国人が参加するのは問題があったようだけど、大目にみて貰えたらしい。だいたい、日本人なんて普通来るようなところじゃないもんね(苦笑)。参加者も少なく、いかにも近所の人といった感じ。
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まずは、コルト1911A1、所謂コルト45ですね。ただし、これはオーストリア陸軍向けにライセンス生産されたもので、Pナントカという制式名がついていたと思う。ううむ、知り合いが撃った短銃はせいぜい22口径だってのに、いきなり45口径かよ。ぶつぶつ言いながら、弾倉を二つ受け取る。という訳で、1911A1がボクの初体験になったのだった(笑)。周囲を盛り土した区画に立つ。一人一人に兵隊がついて指導してくれる、採点もされる。「撃った経験あるか?」と聞かれたので「ナイン(否)」と答えると、弾倉を入れてスライドし、渡してくれた。最初の3発は試射で、残りで採点。銃口を人に向けないように注意して、銃をチェックしてから撃ち方を考える。自衛隊方式は絶対に無理だと思ったので、両手でホールドする事にした。銃はかなり重く感じられた。標的は10数メートル先。撃ちはじめる、とにかく衝撃が激しく、銃がはねあがる。とても、標的に当てられるような状況でない。斜面で舞い上がる土ホコリ。結局、2回で標的に当たったのは1発だけ。トホホ。。。戻ると、白髪の薄くなった人のよさそうなオジサンが来て、成績表を見せろという、見せたら「良くない」という、そりゃそうだけど(涙)。でも、「短銃は難しいんだ」と慰めてもくれました。後で聞くと、この人はここの元連隊長で退役陸軍中佐だということ。ひえええぇ。次は機関短銃、なんとMP40とMP41です。どちらか選べというので、木製ストックをつけたタイプのMP41ではなく、映画などでお馴染みのスタイルのままのMP40にしました。これは採点はなく、1マガジン分を撃ちつくすだけ。引き金を引くと、パ、パ、パ、パ、と比較的のんびりした感じで、弾が標的に吸い込まれて行きます。反動も少なくて実に気持ちが良かった。まさか、現役ではないだろうけど、この行事のために用意したんでしょうね。憧れのMP40が撃てるとは思わなかったので感激しました。
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突撃銃はStG77(要するにシュタイアーAUG)を期待していたのですが、StG58という一世代前のものでした。やっぱり(笑)。こいつはベルギーのベストセラー突撃銃FALをシュタイアーでライセンス生産したものです。弾は7.62mmのNATO弾を使っています。自衛隊では射撃姿勢は伏射、しかも脚使用で、射距離は200m、最初に照準調整の零点規整3発、本射12発だそうです。今回は、やはり伏射で脚はなし(ただし土嚢に載せる)、零点規整3発、本射は10発でした。これを3回繰り返します。射距離は同じく200mでした。撃ちはじめると、こいつは当たる。撃つたびに、指導の兵隊が上、下とか右、左とか言ってくれます。3発連続で10点(中心)にあてると「グート(良し)」と誉められました。標的はほぼ人間の頭くらいの大きさですから、ちゃんと狙えば人を殺すのは案外簡単だと思いました。戦場で姿勢を低くするのが重要だというのが実感できますね。
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最後が狙撃銃、プラスチックを多用した軽いボルトアクション式ライフルにスコープがついています。型式は判らなかったのですが、メーカーはやはりシュタイアーで国産のようです。これも7.62mmのNATO弾で、射撃方は突撃銃と同じ。ガチャンとボルトを引くと、硝煙のかおりと共に、まだ熱い薬莢が飛び出して、新しい弾が装填されるのは松本零士の世界(笑)。しかし、この頃から、情けない事に肩が痛くなってきたんですね。ストックは肩にしっかり密着して撃っていたつもりなんですが、鎖骨あたりがズキズキと。NATO弾はかなり強力なんで、100発近くも連続射撃していると利きます。まして始めてだし(苦笑)。狙撃銃はさすがにスコープを使えば命中率は良いのですが、最後は冷や汗がでてくる有り様でした。もう少し待てばM60も撃つことができたのですが、時間も遅くなるのでホテルに引き上げました。ホテルでシャワーを浴びて、肩を調べると、なんと青痣になっています。数日痛みました。帰国して自衛隊の人から「NATO弾連続100発撃った?肩が痛いのは当たり前だ、隊員だってそんなに撃つか!」と言われました(苦笑)。新型小銃が小口径に移行しているのも無理もない。

実はこれだけじゃなくて、射撃場にいたヒゲのオヤジ(後でプロフェッサーで州の財政顧問だと知ってびっくり)に銃が好きならウチにおいでと言われて、車で行ったら「ウチ」はエーベルスベルク城というナポレオン時代の古戦場にもなった館で、私設銃器博物館になっていたのでした。ケースから出して自由に触って良いよと言われて、アサルトライフルの元祖とも言えるStG44にベタベタ触ってきました。コレクションは本当に圧巻でした。アリサカというコーナーだけで三八式歩兵銃の色々なバリエーションが数十挺もあるのですから。
タグ:軍事
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