2014年06月06日

横須賀海軍工廠(艦娘の生まれ故郷)その1

横須賀旧海軍工廠を散策、各船渠は想像以上に素晴らしい。残念ながら9.11以来のセキュリティ強化で写真は撮影できませんでしたが、目に焼き付けてきました。1号から6号まで全てドライ状態で船渠観察には最高の条件。6号はジョージ・ワシントンが入渠しているときは立ち入り禁止となるそうですが、入っているのがイージス駆逐艦のカーティス・ウィルバーだったのでドックを観察する事ができました。カーティス・ウィルバーはドックに比べて艦が小型なのでドック内の観察に支障にならず、しかも入渠の状況まで観ることができる。艦が多い時、船渠に海水を入れてバースとして使うので、運が良かった。カーティス・ウィルバーはプロペラシャフトやフェーズドアレイレーダーまで取り外してた。各船渠は建設時代の歴史が感じられ感動しました。入渠艦が目に浮かぶようです。帝国海軍に関心のある人は絶対に観るべき。横須賀鎮守府の建物は現在米艦隊司令部ですが、最近まであったという横須賀鎮守府の看板は外されていましたが横須賀海軍工廠工作部の銘板はそのまま残っていました。これらの船渠のぞき込んでいると帝国海軍の艦艇たちが目に浮かんでくる。

1号船渠、明治4年(1871年)完成、江戸幕府により建設開始、フランス人海軍技術者ヴェルニーの指導で建設。駆逐艦クラスが使用の中型ドック。伊豆産の小松石を用いており日本で最初にセメントが使用された構造物でもある。城の石垣彷彿とさせる和洋折衷の石積みが特徴。

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2号船渠、明治17年(1884年)完成、フランス人帰国後日本人主体で建設。軽巡クラスが使用の中型ドック。日露戦争時の主力設備だった。伊豆産の小松石を用いる。2号と呼ばれているが資金難のために建設は3号より後になった。二隻の艦を同時入渠させる構造になっていたが後に単一に直された。

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3号船渠、明治7年(1874年)フランス人海軍技術者ヴェルニーの指導で建設。敷設艦クラスが使用の小型ドック。伊豆産の小松石を用いており国産セメントが使用された。石積みは洋風であり、後の改修が殆ど無いので古い状態を良く残した貴重な存在である。とても美しい建造物だった。

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4号船渠、明治38年(1905年)完成、前弩級戦艦や重巡クラスが使用の大型ドック。ドック出口の一部に伊豆産の小松石を用いるが、他はコンクリート造り。近代的なイメージのドックでした。弩級戦艦くらいならば入渠できそうですね。(写真では停泊船の裏側にあり見えません)

第四船渠.jpg


5号船渠、大正5年(1916年)完成、戦艦や航空母艦クラスが使用の超大型ドック。一部に伊豆産の小松石を用いるが、他はコンクリート造り。赤城の全長、長門の幅、扶桑の喫水に対応するように作られたと言われているそうです。戦艦榛名と駆逐艦3隻が同時に入渠している有名な写真があります。

第五船渠.jpg


6号船渠、昭和15年(1940年)完成、大和型戦艦に対応した鉄筋コンクリートの超々大型ドック、幅があり、信濃用の建造ドックとして建設された。現在は航空母艦ジョージ・ワシントンが使用。(六号船渠はヴェルニー公園からは視認できません、写真は軍港めぐり観光船より撮影)中央にあるロス級原潜とタグボードで見にくいですが、左手の青いクレーンのある谷間に六号船渠があります、一部ですがゲートが見えています。

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船渠を見学し堪能しましたが、米海軍基地内なので、今回は海自の方にエスコートをお願いしました。それ以外は一般公開日に入るしかありません。しかし、実はもっと簡単に行ける艦これ聖地があります。汐入にある横須賀ダイエーショッパーズプラザです。元はガントリークレーンを備えた第二船台があった場所で、海岸には痕跡が残っています。平行してやや小ぶりな第三船台もありました。ここで戦艦、空母、巡洋艦等の多くの艦艇が生まれました。山城、陸奥、比叡、妙高、高雄、鈴谷、天龍、能代、飛龍、翔鶴、瑞鳳 艦これに登場する、横須賀で建造された代表的な艦だけでも、こんなにありますね。船台での建造ではないですが、龍驤その他の空母の艤装の多くが横須賀で実施されています。第6船渠で建造された信濃という大物もいます。多くの軍艦が生まれた第二船台と第三船台の跡地に建ったダイエーですが、不景気で当初200以上あったテナントが半分くらいまで減っているのですね。汐入からの移動が楽になったので多少はマシになったそうですが、本当に艦これの聖地としてPRすれば良いのにと思います。新艦娘の大鯨の生まれ故郷もここです。

関東大震災で第二船台上にて擱座した巡洋戦艦天城、赤城と共に航空母艦に改装される予定だったが損傷が激しく戦艦加賀が空母となった。

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かつての海軍工廠設備の配置図。

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第二船台を始めとする設備は1959年に住友機械工業に払い下げられ、1978年に閉鎖するまで使用されました。閉鎖直前の1977年の写真と現在の地図を比べてみましょう。

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横須賀工廠設備の大ざっぱな解説。1号から6号船渠(ドック)は昔のまま残っています。米海軍司令部が置かれている建物は横須賀鎮守府のままです。船渠の対象艦クラスは目安です、実際は柔軟に運用されていました、時代によっても変わります。

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これは4号船渠で改装中の巡洋艦鈴谷です。

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昭和8年横須賀第五船渠入渠作業限界能力実験。戦艦榛名と駆逐艦、旗風、松風、朝風が同時に入渠している。しかし、頭が腐っているので、榛名さんと駆逐艦達の仲良し入浴シーンに見えてしまう。下で1人入浴しているのは愛宕さん。(この写真、新しい資料では金剛と鳥海となっていました)

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現在の状況です。Bと書いてあるのが旧横須賀海軍工廠第五船渠です。ほとんど変わっていません。第四船渠は停泊艦で見えませんがやはり残っています。ここにかつて多くの巨大な軍艦が入渠していたと思うと胸が熱くなります。

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ちょっと古いですが、明治40年に第三船台上で進水直前の装甲巡洋艦鞍馬です。船台の規模に比べて艦が大きすぎるように思えますが、奥に見えるガントリークレーン建設中の第二船台では直前まで戦艦薩摩が建造中だったので無理をしたのかもしれないですね。ここも現在はダイエーになっています。手前の水面はその後埋め立てられていて、軍港めぐり桟橋やチケット売り場がある辺りですね。

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比叡_001a.jpg


第5船渠_001a.jpg


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補足)まだ判らない事が多いですが、色々と調べて、工廠設備がやや理解出来ました。船渠(ドック)はすでに述べたとおりですが、船台は第二、第三、軽船台の三つだったようです。第一船台は不明ですが、元々軽船台の場所にあって、それを作り直したのかもしれません。ガントリークレーンが設置されているのは、最大規模の第二船台で、巡洋艦以上の艦のほとんどが建造されているようです。これは能力は250mとありますが、天城は261mあったので、工夫すればこれくらいはいけたのでしょうか?第三船台は能力150mとの事で、明治時代は装甲巡洋艦が建造されたりしていますが、その後は大型艦はあまり建造されなかったようです。駆逐艦クラスを建造していたのかなと推定しています。第二船台用の部材の組み立て場として使用して時もあったのかもしれません。現在、軍港めぐり桟橋とヴェルニー公園のウッドデッキの間にあるスロープの正体が判りました。あれが軽船台の跡ですね。ここでは潜水艦が建造されていたようです。面白いですね。

ビデオもどうぞ!

琨肀
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2014年06月01日

夾叉

夾叉が判らない人が多いらしい。無理も無いけど。
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2014年04月19日

海上自衛隊カレーイベント

カレー8千食に対して2万人がやってきたそうです。横須賀中央駅まで列ができたのが凄い。行きたかったのですが休日出勤になってしまい残念。
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2014年04月07日

戦艦大和の最期

今日は戦艦大和が沈んだ日ですね。
 天一号作戦(沖縄特攻)は航空機による特攻作戦と同様に、米軍の沖縄上陸に呼応したものでした。これから、沖縄の死闘はまだまだ続いていきます。
 自分は、ここしばらく読んでいた戦闘詳報は大和のものですが、作戦に関する評価には作戦立案者に対する強い批判が込められています。特攻作戦に参加した第一遊撃部隊は第二艦隊(大和と第二水雷戦隊)から構成されていますが、別に戦闘詳報を残している第二水雷戦隊はもっと激しい批判があったとのこと。
 特攻作戦を採用するというのは、やはり作戦立案者としては、絶対に外道でしょう。ヒトラーでさえも、ハンナ・ライチュから特攻作戦を提案されて拒絶しています。一時的なものならともかく、それが当たり前になっていく感覚の麻痺には空恐ろしいものを感じます。
 しかし、当然の事ながら、実際に作戦に赴いた人々の評価はまったく別な次元で語られるべきでしょう。誰だって死にたくは無い筈で、遺書をみると死に直面してそれに何等かの意義を見いだしたいという気持ちが伝わってきます。
 それを実現するのは残された我々日本人という事になるでしょう。その方法は色々あると思いますが、とりあえず、大和が存在したという事が日本人に勇気を与えたというのはまず間違いないところで、まず、大和を忘れない事が大事だと思うのでした。
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タグ:軍事 艦これ
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2014年02月27日

折田先生像

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2013年12月14日

島風MMDモデル

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PI−さん制作のMMDモデルを使用させて頂きました。ただ、直接のインポートは無理でした。
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2013年12月12日

島風ちゃんがいちばん「軍艦榛名百周年」

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2013年12月07日

島風ちゃんがいちばん「戦艦大和の最期」

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これも昔作った作品の改造。
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島風ちゃんがいちばん「記念艦三笠」

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昔作った作品を改造してみた。
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2013年11月30日

雑誌「丸」島風特集

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