2014年06月29日

駆逐艦初霜の錨

会社の近所を散策していたら、大きくて綺麗な病院があり、その前に錨が展示してありました。初春型駆逐艦「初霜」の主錨(メインアンカー)です。この錨は大和と共に沖縄に向かった事もあるわけですね。大和は沈没前に通信機能を喪失していたので、初霜が側に寄り添って通信を代行して送っていたそうです。最後を見届けた存在と言っても良いかも。

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場所はあえて書きません。検索すれば直ぐに判りますが、病院なのでくれぐれも見学の際にご迷惑をかけないように注意しましょう。
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サラエボ事件100周年

昨日は1914年6月28日に起こった、オーストリアハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナンド大公夫妻の暗殺から100周年でした。暗殺時に大公夫妻が乗っていた車や大公の上着は、現在、ウィーン軍事史博物館に展示されています。実際にこの目でみて、これが結果的に2回の世界大戦のきっかけとなり、冷戦を招き、未だに世界に影を落としているのだなと思いました。
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2014年06月21日

今も残る八八艦隊計画艦(天城浮き桟橋)

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関東大震災で損傷して建造中止になった赤城のお姉さん、巡洋戦艦天城は解体されたけど、一部の水密区画を流用して浮き桟橋になりました。永らく横須賀海軍工廠の小海艤装岸壁で使用され、米軍時代も変わりませんでしが、数年前に、空母ジョージ・ワシントンが接岸する邪魔になるので撤去されました。どこに行ったのかと思ったら磯子のジャパンマリンユナイテッド横浜事業所磯子工場で依然として使われていた。不幸にも軍艦として生まれる事はなったけど90年以上も多くの艦艇を育んできたわけですね。GoogleMapで確認できますが、護衛艦ひゅうがの艤装に使用されている写真でした。この浮き桟橋、チャンスがあったらぜひ見学したいものだと思いますが、工場の中に入るのは難しいので地図で調べたら対岸のJ−POWER磯子発電所脇の岸壁から見えそうなので行ってみました。

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天城浮き桟橋の現在の状況です。護衛艦「ひゅうが」が艤装中の時ですね。(GoogleMapより)

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J−POWER磯子発電所脇の岸壁からだと接岸している艦がある場合は影になって天城浮き桟橋が見えません。今日は艤装中の護衛艦「いずも」で見る事ができませんでした。「いずも」の反対側に天城浮き桟橋があります。奥では護衛艦「ひゅうが」も改装中のようです。それにしても、護衛艦「いずも」の堂々たる姿に感心しました。全通甲板は翔鶴型航空母艦の飛行甲板に匹敵する長さですから当然かもしれません。

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有料の海釣り公園のプロムナードに入ると岸壁の先端まで行けます。竿を持っていなければ見学扱いで100円でOKです。ここからだと接岸している艦があっても浮き桟橋の一部を見る事ができます。八八艦隊計画艦の一部が今でも海自艦艇の建造に使用されているというだけでも感動しますね。

>zero様
コメントありがとうございます。解体されるのではないかと心配したので嬉しいですね。
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2014年06月14日

大洗磯前神社の軍艦那珂忠魂碑

再録になりますがこれもアップしておきます。巡洋艦那珂は横浜生まれですが、名前の由来となった那珂川との縁で茨城県の大洗磯前神社を艦内神社としていました。忠魂碑も磯前神社にあります。非常に立派なものですので、機会があればぜひ慰霊に訪れてみて下さい。艦隊これくしょんのようなゲームからの関心で慰霊碑を訪問するのは不謹慎だという人も居ますが、慰霊する気持ちさえあれば、そんなのは全く関係ありません。最大の慰霊はその存在を忘れない事です。すでに那珂の沈没から長い年月が経って、関係者もご家族も減っていき、軍艦(フネ)は人の記憶から消え去ろうとしていました。多くの人に新たに名前を覚えて貰えただけでも良い事だと私は思っています。
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横浜船渠(軽巡那珂と空母龍驤の生まれ故郷)

日本丸が保存されている1号船渠とドックヤードガーデンとなっている2号船渠が那珂と龍驤の建造場所であると誤解している人が多いので実際の場所を検証してみました。手持ちの写真から那珂と龍驤の建造場所を五号船台だと推測しましたが、横浜みなと博物館にはっきり特定できる、進水直前の那珂の写真がありました。横浜船渠の模型もありますので興味のある方はお勧め致します。
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このウエブサイトに紹介されている写真の起重機で間違い無さそうですね。
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2014年06月08日

横須賀海軍工廠(艦娘の生まれ故郷)その2

横須賀海軍工廠の船台の場所を再度確認してきました。工廠概念図はこっちにもつけておきます。

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戦後、第二船台が払い下げられて、まだガントリークレーンが残っている時代(昭和30年代?)の写真です。ガントリークレーン支柱基部が見えています。
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2014年06月06日

横須賀海軍工廠(艦娘の生まれ故郷)その1

横須賀旧海軍工廠を散策、各船渠は想像以上に素晴らしい。残念ながら9.11以来のセキュリティ強化で写真は撮影できませんでしたが、目に焼き付けてきました。1号から6号まで全てドライ状態で船渠観察には最高の条件。6号はジョージ・ワシントンが入渠しているときは立ち入り禁止となるそうですが、入っているのがイージス駆逐艦のカーティス・ウィルバーだったのでドックを観察する事ができました。カーティス・ウィルバーはドックに比べて艦が小型なのでドック内の観察に支障にならず、しかも入渠の状況まで観ることができる。艦が多い時、船渠に海水を入れてバースとして使うので、運が良かった。カーティス・ウィルバーはプロペラシャフトやフェーズドアレイレーダーまで取り外してた。各船渠は建設時代の歴史が感じられ感動しました。入渠艦が目に浮かぶようです。帝国海軍に関心のある人は絶対に観るべき。横須賀鎮守府の建物は現在米艦隊司令部ですが、最近まであったという横須賀鎮守府の看板は外されていましたが横須賀海軍工廠工作部の銘板はそのまま残っていました。これらの船渠のぞき込んでいると帝国海軍の艦艇たちが目に浮かんでくる。

1号船渠、明治4年(1871年)完成、江戸幕府により建設開始、フランス人海軍技術者ヴェルニーの指導で建設。駆逐艦クラスが使用の中型ドック。伊豆産の小松石を用いており日本で最初にセメントが使用された構造物でもある。城の石垣彷彿とさせる和洋折衷の石積みが特徴。

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2号船渠、明治17年(1884年)完成、フランス人帰国後日本人主体で建設。軽巡クラスが使用の中型ドック。日露戦争時の主力設備だった。伊豆産の小松石を用いる。2号と呼ばれているが資金難のために建設は3号より後になった。二隻の艦を同時入渠させる構造になっていたが後に単一に直された。

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3号船渠、明治7年(1874年)フランス人海軍技術者ヴェルニーの指導で建設。敷設艦クラスが使用の小型ドック。伊豆産の小松石を用いており国産セメントが使用された。石積みは洋風であり、後の改修が殆ど無いので古い状態を良く残した貴重な存在である。とても美しい建造物だった。

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4号船渠、明治38年(1905年)完成、前弩級戦艦や重巡クラスが使用の大型ドック。ドック出口の一部に伊豆産の小松石を用いるが、他はコンクリート造り。近代的なイメージのドックでした。弩級戦艦くらいならば入渠できそうですね。(写真では停泊船の裏側にあり見えません)

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5号船渠、大正5年(1916年)完成、戦艦や航空母艦クラスが使用の超大型ドック。一部に伊豆産の小松石を用いるが、他はコンクリート造り。赤城の全長、長門の幅、扶桑の喫水に対応するように作られたと言われているそうです。戦艦榛名と駆逐艦3隻が同時に入渠している有名な写真があります。

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6号船渠、昭和15年(1940年)完成、大和型戦艦に対応した鉄筋コンクリートの超々大型ドック、幅があり、信濃用の建造ドックとして建設された。現在は航空母艦ジョージ・ワシントンが使用。(六号船渠はヴェルニー公園からは視認できません、写真は軍港めぐり観光船より撮影)中央にあるロス級原潜とタグボードで見にくいですが、左手の青いクレーンのある谷間に六号船渠があります、一部ですがゲートが見えています。

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船渠を見学し堪能しましたが、米海軍基地内なので、今回は海自の方にエスコートをお願いしました。それ以外は一般公開日に入るしかありません。しかし、実はもっと簡単に行ける艦これ聖地があります。汐入にある横須賀ダイエーショッパーズプラザです。元はガントリークレーンを備えた第二船台があった場所で、海岸には痕跡が残っています。平行してやや小ぶりな第三船台もありました。ここで戦艦、空母、巡洋艦等の多くの艦艇が生まれました。山城、陸奥、比叡、妙高、高雄、鈴谷、天龍、能代、飛龍、翔鶴、瑞鳳 艦これに登場する、横須賀で建造された代表的な艦だけでも、こんなにありますね。船台での建造ではないですが、龍驤その他の空母の艤装の多くが横須賀で実施されています。第6船渠で建造された信濃という大物もいます。多くの軍艦が生まれた第二船台と第三船台の跡地に建ったダイエーですが、不景気で当初200以上あったテナントが半分くらいまで減っているのですね。汐入からの移動が楽になったので多少はマシになったそうですが、本当に艦これの聖地としてPRすれば良いのにと思います。新艦娘の大鯨の生まれ故郷もここです。

関東大震災で第二船台上にて擱座した巡洋戦艦天城、赤城と共に航空母艦に改装される予定だったが損傷が激しく戦艦加賀が空母となった。

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かつての海軍工廠設備の配置図。

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第二船台を始めとする設備は1959年に住友機械工業に払い下げられ、1978年に閉鎖するまで使用されました。閉鎖直前の1977年の写真と現在の地図を比べてみましょう。

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横須賀工廠設備の大ざっぱな解説。1号から6号船渠(ドック)は昔のまま残っています。米海軍司令部が置かれている建物は横須賀鎮守府のままです。船渠の対象艦クラスは目安です、実際は柔軟に運用されていました、時代によっても変わります。

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これは4号船渠で改装中の巡洋艦鈴谷です。

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昭和8年横須賀第五船渠入渠作業限界能力実験。戦艦榛名と駆逐艦、旗風、松風、朝風が同時に入渠している。しかし、頭が腐っているので、榛名さんと駆逐艦達の仲良し入浴シーンに見えてしまう。下で1人入浴しているのは愛宕さん。(この写真、新しい資料では金剛と鳥海となっていました)

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現在の状況です。Bと書いてあるのが旧横須賀海軍工廠第五船渠です。ほとんど変わっていません。第四船渠は停泊艦で見えませんがやはり残っています。ここにかつて多くの巨大な軍艦が入渠していたと思うと胸が熱くなります。

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ちょっと古いですが、明治40年に第三船台上で進水直前の装甲巡洋艦鞍馬です。船台の規模に比べて艦が大きすぎるように思えますが、奥に見えるガントリークレーン建設中の第二船台では直前まで戦艦薩摩が建造中だったので無理をしたのかもしれないですね。ここも現在はダイエーになっています。手前の水面はその後埋め立てられていて、軍港めぐり桟橋やチケット売り場がある辺りですね。

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補足)まだ判らない事が多いですが、色々と調べて、工廠設備がやや理解出来ました。船渠(ドック)はすでに述べたとおりですが、船台は第二、第三、軽船台の三つだったようです。第一船台は不明ですが、元々軽船台の場所にあって、それを作り直したのかもしれません。ガントリークレーンが設置されているのは、最大規模の第二船台で、巡洋艦以上の艦のほとんどが建造されているようです。これは能力は250mとありますが、天城は261mあったので、工夫すればこれくらいはいけたのでしょうか?第三船台は能力150mとの事で、明治時代は装甲巡洋艦が建造されたりしていますが、その後は大型艦はあまり建造されなかったようです。駆逐艦クラスを建造していたのかなと推定しています。第二船台用の部材の組み立て場として使用して時もあったのかもしれません。現在、軍港めぐり桟橋とヴェルニー公園のウッドデッキの間にあるスロープの正体が判りました。あれが軽船台の跡ですね。ここでは潜水艦が建造されていたようです。面白いですね。

ビデオもどうぞ!

琨肀
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2014年06月01日

夾叉

夾叉が判らない人が多いらしい。無理も無いけど。
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2014年04月19日

海上自衛隊カレーイベント

カレー8千食に対して2万人がやってきたそうです。横須賀中央駅まで列ができたのが凄い。行きたかったのですが休日出勤になってしまい残念。
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2014年04月07日

戦艦大和の最期

今日は戦艦大和が沈んだ日ですね。
 天一号作戦(沖縄特攻)は航空機による特攻作戦と同様に、米軍の沖縄上陸に呼応したものでした。これから、沖縄の死闘はまだまだ続いていきます。
 自分は、ここしばらく読んでいた戦闘詳報は大和のものですが、作戦に関する評価には作戦立案者に対する強い批判が込められています。特攻作戦に参加した第一遊撃部隊は第二艦隊(大和と第二水雷戦隊)から構成されていますが、別に戦闘詳報を残している第二水雷戦隊はもっと激しい批判があったとのこと。
 特攻作戦を採用するというのは、やはり作戦立案者としては、絶対に外道でしょう。ヒトラーでさえも、ハンナ・ライチュから特攻作戦を提案されて拒絶しています。一時的なものならともかく、それが当たり前になっていく感覚の麻痺には空恐ろしいものを感じます。
 しかし、当然の事ながら、実際に作戦に赴いた人々の評価はまったく別な次元で語られるべきでしょう。誰だって死にたくは無い筈で、遺書をみると死に直面してそれに何等かの意義を見いだしたいという気持ちが伝わってきます。
 それを実現するのは残された我々日本人という事になるでしょう。その方法は色々あると思いますが、とりあえず、大和が存在したという事が日本人に勇気を与えたというのはまず間違いないところで、まず、大和を忘れない事が大事だと思うのでした。
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タグ:軍事 艦これ
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