2019年03月03日

駆逐艦不知火の錨

先日、海上自衛隊の「あさひ型」汎用護衛艦「しらぬい」が就役しました。「しらぬい」は漢字で書くと「不知火」であり、帝国海軍時代の駆逐艦を含めると三代目になります。両国で初代の錨が保存されていると聞いて行ってきました。
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場所は両国小学校です。両国小学校は小説家芥川龍之介の母校であり、その文学碑があります。駆逐艦不知火の錨二つがその脇に展示されていました。道路から見ることができますが現在はネットが張られていてやや見にくくなっています。
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錨は2つあり、保存状態は比較的良いです。これは1つ目。
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2つ目の錨です。
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錨の由来を書いたプレートもあります。除籍されたときに購入してスクラップとして解体した業者がたぶん隅田川沿いにあって、近くの小学校に寄贈したようです。
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錨の上部。不知火の錨は「マーチンスアンカー」という形式で大きさは違いますが戦艦三笠の錨とほぼ同形式です。上部に鋭角的な突起(ストック)があるのが特徴で、主に19世紀後半の艦艇で多用されましたが、20世紀に入ってからストックレスアンカーにとって代わりました。
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中部。やや旧式な形式の錨であると言えるでしょうか。
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下部。確認出来ませんでしたが、刻印があり、BROWN LENOX & C(ブラウン レノックス社)というメーカー名と1898年という製造年が読み取れるそうです。
不知火.jpg
初代駆逐艦不知火は東雲型の4番艦で1899年5月13日、イギリスのソーニクロフト社で竣工し、当初は水雷艇とされたが後に駆逐艦に類別された。1904年、日露戦争が勃発した際には第2艦隊第5駆逐隊に所属しており、旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦、樺太の戦いなどに参加した。1922年4月1日、特務艇に編入。1923年8月1日、雑役船に編入され、1925年2月25日に廃船となった。 326トン、30ノット。日本最初の駆逐艦グループ12隻のうちの1隻だった。艦首がタートルバックになっているのは最初期の駆逐艦の特徴です。
駆逐艦不知火_001.jpg
駆逐艦不知火(しらぬい)三代は駆逐艦の歴史を体現していますね。新しい「しらぬい」の活躍を祈ります。

posted by はるなブログ(コミPo!を主に使った日記) at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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