後藤さんには色々な側面がありますが、水木しげる先生の感想をご紹介しましょう。

『日本読書新聞』1984年4月30日号
「わが友 ヒットラー少年 鬼太郎と桃太郎をあわして……」
後藤修一氏は、一四、五年前だったか、ぼくが「ヒットラー」をかこうとしたとき、桃太郎のような顔をして突然現れ、「ヒットラー」の漫画が出れば世界中で、ぼくが一番喜ぶでしょうな」といったような、独話とも夢話ともつかぬ言葉を発し「ヒットラー」のストリーについて、無料で全面奉仕するから協力させてくれということだった。
たしか高校三年位だったろうか、話をきくと「ヒットラー」のこととか、戦争のことなどだけでなくドイツ文化≠ノついてもくわしかったとつけ加えておく。氏は、それ以来毎週のようにあらわれ、ヒットラーについてのシナリオやら助言を桃太郎のような顔つきで、されるのだった。
我が家では誰いうとなく、氏をヒットラー少年≠ニ呼ぶようになった。それほど氏は、ヒットラーについてくわしく……というより「ヒットラー」から生まれた少年みたいだった。その頃、「漫画サンデー」に連載していた「ヒットラー」が長かったから、しぜん親しくなり横浜の伊勢佐木町のハンドバックやカバンを売っているお店にうかがった。ハンドバック屋の三階の屋根裏部屋みたいなところが氏の部屋だった。一人息子らしく部屋を全部占領していてかなり広く、友達なんかいてにぎやかだった。氏は鬼太郎と桃太郎を合わしたみたいな顔でニヤニヤしておられたわけだが、世の中には変わった少年もいるものだというのがぼくの印象だった。
話は戻るが、二、三年前からぼくのアシスタントの友人と称する丸坊主の男が、ぼくの家に出入りしはじめていた。とにかく、入道のような坊主で下駄をはいていたのだから、ひどく目立つ。又この坊主はよく電話をかけてくる。その電話のかけ方が、少年とは思えぬほど落ちついているのだ。世の中には面白い人がいるものだと思っていると、なんとこの坊主は「ヒットラー少年」の知合いだったと聞いておどろいた。しかも、お互にかのゴジラとかキングコングといった特集もののなどについて、バカにくわしい。しかも、その坊主が日本で一番くわしい、という話をきかされ二度おどろいた。
その後「ヒットラー少年」は、ナチス時代の軍需相のシュペーアとか、親衛隊長ヒムラーの娘などとドイツに行って話をしたり、日独協会の青年部の委員長になったりして、大へんなドイツ通になっておられる。全く年月のたつのは早いものだ。マスコミのみなさま「ヒットラー」のことについて知りたいことがあったら、ゼヒ後藤修一氏にきいて下さい。
水木しげる
マンガ家