2019年03月09日

「荒野のコトブキ飛行隊」羽衣丸考察(続)

先の考察が凄く大ざっぱなものだったので、もう少し掘り下げてみよう。

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2隻のイジツ飛行船が並んでいる。上が羽衣丸である。街と比べて非常に巨大である事が推測される。

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隼T型の発艦シーンである。羽衣丸の飛行甲板兼格納庫は船体構造に組み込まれ、かなり強度もありそうだ。幅は少なくとも30mで高さは10mはありそうだ。飛行甲板兼格納庫の天井にはかなり太い梁が見えており、このボックス状の構造が船体の竜骨の役割を果たしている可能性がある。たぶんこの区画より上にヘリウムガスの気嚢が並んで収められているのだろう。目測では船体下部の2〜3割は気嚢以外の設備になっているものと思われる。その分浮力が減るので不利になるが、そういった飛行船がない訳ではない。

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世界一周飛行で有名なLZ127グラーフ・ツェッペリン号である。LZ127は10万m3の気嚢のうちで7万m3が水素ガスで、残りの3万m3に燃料のブラウガス(エチレン系可燃性ガス)が収められていた。

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船体が充分に大きければ、アニメと同じような見た目でブラウガスの区画に飛行甲板兼格納庫がすっぽり収まりそうだ。

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ブラウガスの区画は船体の全長に及んでいるので、飛行甲板兼格納庫と置き換える事ができそうです。もちろん船体が大きければですが。

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羽衣丸は全体的な形状はLZ129ヒンデンブルク号に似ています。数は多いですが発動機の装備法も同じです。

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ただし、直線的な尾翼の形状はアメリカ海軍の軍用飛行船アクロン号に似ている気もします。アクロン号はヒンデンブルク号とほぼ同じ大きさの巨大飛行船でした。また羽衣丸と同じくヘリウム飛行船であり、船内に飛行機格納庫を有し、5機の小型機を搭載できました。発艦と収用は船体下部にあるアームとフックで行います。

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格納庫内で吊り下げられた複葉機。

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船外に吊り下げられた機体。

羽衣丸がLZ129ヒンデンブルク号やアクロン号の全長で約2倍というのは映像をみる限りでは妥当なようです。全体のフォルムはLZ129ヒンデンブルク号、ヘリウムや航空艤装はアクロン号、内部構造はLZ127グラーフ・ツェッペリン号と共通点があるといったところでしょうか。
ここでは、アクロン号を2倍にして本来のヘリウム気嚢の3割のスペースが航空艤装や居住区に当てられていると考えて羽衣丸のスペックを推定してみましょう。

アクロンの全長が約240mですから「480m」、直径が約41mですから「82m」、ガス体積が184000m3ですからその8倍に0.7を掛けて「103400m3」、同じ要領で、総浮力が「1025トン」、ペイロードが「465トン」、船体重量はペイロードと概ね同じだそうなので「約500トン」になるようです。前の推定より厳しくなっているのはガス嚢の容積が大幅に減ったのと、ヘリウムを使っているせいです。
ざっくり、浮力が1000トン、船体重量500トン、ペイロード500トン。予備浮力がたくさん要るかと誤解していたのですが、浮力と重量が釣り合っていれば良いようです。飛行船は静的な力だけでなく、動くので昇降舵や方向舵の動的な力と、ある程度は揚力も生じるようですね。逆に飛んでいるうちに、物資を消費してどんどん船体が軽くなるのでバラストの確保が必要なのだそうです。水素はガスを抜く事ができますが、ヘリウムは高価で捨てるのが許されないので苦労したようですね。飛行中に遭遇した雨水を溜めたり、エンジンの排気から水を分離してバラストとして利用したりしたようです。

改めて、船体重量500トン、ペイロード500トンで羽衣丸が実現できるのでしょうか。工夫すればなんとかなる気もしますが、とにかく船体の軽量化は絶対に必要でしょうね。







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2019年03月06日

「荒野のコトブキ飛行隊」羽衣丸考察

荒野のコトブキ飛行隊。羽衣丸が巨大なのは判るけど、あんな空中空母化するための浮力をヘリウム飛行船で実現するのは可能なのだろうか?
羽衣丸に似ているドイツの飛行船ヒンデンブルクLZ129は構造材がジュラルミンと張り線。表面はドープを塗った綿布。内部に複数のガス嚢が収められていた。羽衣丸も飛行甲板の上はガス嚢が詰まっているのだろう。二式複戦で破壊したのは各ガス嚢の排出弁?
有名なヒンデンブルクの火災は表面に塗ったドープに含まれているアルミニウム粉末が静電気で発火したと言われている。ヘリウム飛行船でも火災は起こっただろうがあそこまでは拡大しなかったと思われる。ツェッペリン社はその後火災対策をしている。それまでは水素の運用で発火はなかったし、羽衣丸と同じく本来の予定通りにヘリウムを使用していたら別な飛行船の歴史があったかもしれない。
ヘリウムは希少物質でアメリカでしか生産していなかった。ヘリウムは宇宙的には水素に次いで二番目に多い物質で、最初に太陽の分光分析で発見されたように、太陽にも多いが、地球上では天然ガスに僅かに含まれているだけです。だから非常に高価だった。もっとも水素飛行船にもメリットはあり、ヘリウムより軽いのでペイロードに余裕が出来る。安価なので、操船で浮力を減らしたい時に気楽に排出できた。ヘリウムは高価で補充が容易でなく、捨てるのは厳禁だったらしい。羽衣丸は損傷修理も含めて相当な損害と思われる。マダムもアタマが痛いかな?

マダム「経費削減のために水素使うわよ!」

とかなりませんように。('-'*)

さて、羽衣丸の「クラウドベース」化(知っている人いるかな?)についてちょっと考察してみよう。あくまでも大ざっぱな推測なので数字おおよそのものである。

まずドイツの飛行船LZ129ヒンデンブルクを見てみよう。全長245m、幅41.2m、容積20万m3という巨大な飛行船である。容積をガス嚢の容積だと単純化すると20万m3の空気がもつ質量は240トンとなる。水素ガスは17トンだからヒンデンブルクの浮力は最大で223トンである。ヒンデンブルクのペイロードは資料によると60トンである。つまりあれだけ巨大だけど、船体の重量は163トン以下しか無いという事になる。予備浮力が必要だから船体構造は実際にはもっと軽く作られている筈だ。見た目は空飛ぶ戦艦だけど船体そのものの自重は100トンそこそこしかない事になる。
世界一周したグラーフツェッペリンは容積が半分の10万m3しかない。ペイロードは30トン、積載量が容積に比例している事が判る。ただし、容積あたりの構造重量は飛行船が大きくなるほど低減傾向にあるらしい。以上は水素を使用した場合だが、ヘリウムを使うと重いので1割程性能が低下する。
ヒンデンブルク程度の性能では空母運用は不可能だと思われる。もっとも相似形だけど、羽衣丸はヒンデンブルクより遙かに大きい。仮に全長で2倍の490mとすると容積は8倍の160万m3となり、ヘリウムを使った場合の浮力理論値は1650トンで、幅はあるがペイロードは500トンくらいになりそうである。ネットでは全長400mという推測もあった。羽衣丸は全長でヒンデンブルクの約2倍というのは妥当な推測ではないかと思う。
ざっくり船体重量1000トン、積載量500トンといったところ。船体構造について船体巨大化による重量比の低減が見込めるので、飛行甲板や航空機運用のための諸設備の重量もクリアできそうな気がする。これならば工夫すれば「クラウドベース」羽衣丸が実現できるのではないか。パイロットは女の子だし。飛行甲板は自衛用の航空機搭載用でもあり、500トンの貨物積載スペースと考えると納得いく。500トンあれば10機程度の戦闘機と燃料や交換部品を積んでも余裕があるだろう。コトブキ飛行隊だけならば、貨物も多く搭載する事が可能だと思われる。

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LZ130グラーフツェッペリンUの解説図。これは世界一周したLZ127ではなく、LZ129ヒンデンブルクの姉妹船です。ヒンデンブルクの事故のために結局就航する事はありませんでした。形状は羽衣丸に良く似ています。羽衣丸はこれを拡大して下部の旅客区画に全通飛行甲板を通している。飛行甲板の両側に居住区があるのでしょう。搭載している機関はディーゼルでした。余談ですがLZ127の動力だけはちょっと特殊で、LPGのようなブラウガスというガス燃料を使う機関を搭載していました。

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建造中のLZ127グラーフツェッペリンです。硬式飛行船の精緻を極めた構造が凄いです。初期の構造材はアルミニウムでしたが、後にジュラルミンになったそうです。荒野のコトブキ飛行隊の世界ではユーハングから持ち込まれた超々ジュラルミンが活用されているかもしれませんね。


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2019年03月03日

駆逐艦不知火の錨

先日、海上自衛隊の「あさひ型」汎用護衛艦「しらぬい」が就役しました。「しらぬい」は漢字で書くと「不知火」であり、帝国海軍時代の駆逐艦を含めると三代目になります。両国で初代の錨が保存されていると聞いて行ってきました。
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場所は両国小学校です。両国小学校は小説家芥川龍之介の母校であり、その文学碑があります。駆逐艦不知火の錨二つがその脇に展示されていました。道路から見ることができますが現在はネットが張られていてやや見にくくなっています。
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錨は2つあり、保存状態は比較的良いです。これは1つ目。
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2つ目の錨です。
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錨の由来を書いたプレートもあります。除籍されたときに購入してスクラップとして解体した業者がたぶん隅田川沿いにあって、近くの小学校に寄贈したようです。
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錨の上部。不知火の錨は「マーチンスアンカー」という形式で大きさは違いますが戦艦三笠の錨とほぼ同形式です。上部に鋭角的な突起(ストック)があるのが特徴で、主に19世紀後半の艦艇で多用されましたが、20世紀に入ってからストックレスアンカーにとって代わりました。
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中部。やや旧式な形式の錨であると言えるでしょうか。
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下部。確認出来ませんでしたが、刻印があり、BROWN LENOX & C(ブラウン レノックス社)というメーカー名と1898年という製造年が読み取れるそうです。
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初代駆逐艦不知火は東雲型の4番艦で1899年5月13日、イギリスのソーニクロフト社で竣工し、当初は水雷艇とされたが後に駆逐艦に類別された。1904年、日露戦争が勃発した際には第2艦隊第5駆逐隊に所属しており、旅順口攻撃、黄海海戦、日本海海戦、樺太の戦いなどに参加した。1922年4月1日、特務艇に編入。1923年8月1日、雑役船に編入され、1925年2月25日に廃船となった。 326トン、30ノット。日本最初の駆逐艦グループ12隻のうちの1隻だった。艦首がタートルバックになっているのは最初期の駆逐艦の特徴です。
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駆逐艦不知火(しらぬい)三代は駆逐艦の歴史を体現していますね。新しい「しらぬい」の活躍を祈ります。

posted by はるなブログ(コミPo!を主に使った日記) at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記