2018年06月30日

ぼくらの駆逐艦・榎−戦後70年の証言−

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一昨年、大戦末期に、福井・小浜湾で米軍が航空機から投下した機雷で、36人が犠牲になった帝国海軍の駆逐艦「榎(えのき)」を伝えようと、旧制小浜中の卒業生でつくる「榎会」が漫画「ぼくらの駆逐艦・榎−戦後70年の証言−」を自費出版した…というのをTwitterで今更ながら知ったので、通販をお願いして本が届き、先ほど読了いたしました。
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この本は、大戦末期に戦闘力を失い、米軍の攻撃になすすべも無くなっていた海軍艦艇の状況を軍人だけでなく、陸で見守っていた学生の証言等も交えて臨場感溢れる内容です。そして、内容が貴重なのはもちろんですが、マンガとしても、とても面白いのです。すごく構成が上手だなと感心しました。
駆逐艦榎は改丁型(橘型)駆逐艦であり、昭和20年3月31日に舞鶴海軍工廠で竣工しました。瀬戸内海での訓練後に再び日本海側に回航されて第十一水雷戦隊に配備されました。そして昭和20年6月26日に小浜湾で蝕雷、大破着底して戦後解体されました。竣工からわずか87日間というのは帝国海軍の駆逐艦でもっとも短命でした。すでに機雷封鎖によって近海の行動さえも自由にできなくなっていました。
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残念ながら駆逐艦榎の写真は見つける事ができなかったので、榎の直前に同じく舞鶴工廠で竣工した同型艦楡(にれ)の写真を載せました。駆逐艦榎も同じスタイルだった筈です。
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駆逐艦榎が護っていた巡洋艦酒匂です。阿賀野型の4番艦で、水雷戦隊旗艦として建造された強力な巡洋艦でしたが竣工後はすでに指揮をする実戦部隊は存在せず、日本海側でほとんど動かず、無傷で終戦を迎えました。アメリカに接収されて、戦艦長門と共にビキニ環礁の原爆実験で沈みました。同型艦の矢矧は戦艦大和と共に戦没しています。
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駆逐艦榎と同じ第十一水雷戦隊に属していた同型艦の初桜は後に横須賀に移りました。終戦後に連合軍の艦隊との連絡艦として最初に接触する役目を果たしています。
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余談ですが、駆逐艦榎と同じ改丁型(橘型)の駆逐艦梨(なし)は瀬戸内海で航空攻撃で撃沈されましたが、昭和29年にサルベージされて、海上自衛隊護衛艦「わかば」として再生しました。帝国海軍の血の一滴は、駆逐艦榎の姉妹を通して海上自衛隊に受け継がれているのです。




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2018年06月16日

君が代

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 私は君が代が好きです。祖国の国歌であるというだけでなく、静かで美しく、悠久の時の流れが、短い詩に凝縮されているのがとても良いですね。
 「さざれ(細)石の巌となりて 苔のむすまで」という歌詞は「小石が巨岩となるほど長い歳月を経るまで」という意味なんでしょうが、私はひとつ小石が成長して巨岩になるという考えが昔の人にあったのかと思ってました。ところが、歌に詠まれたさざれ石のモデルは、根拠は良く判らないのですが、伊吹山の石灰質礫岩とされているそうです。
 つまり、小石(礫)が集まって堆積して、続成作用で固結して、陸化して、侵食されて巨岩になったという意味ですね。凄く地質学的なのが面白いです。
 もっとも、本当に地質学的な解釈に基づいている訳ではなく、巨大な礫岩の塊が小石が集まってできているのをみて、理由は判らないけど、不思議に思い、畏敬の念に囚われただけかもしれませんね。
 それにしても、あちこちで展示されている大きな岩石を「さざれ石」と呼ぶのは論理的に間違っているのではないか?含まれているのが「さざれ石」で、展示されているのは「巌」だと思うのですが。('-'*)
 明治時代のお雇い外国人、英国人のチェンバレンが、君が代の英語への翻訳をしています。チェンバレンは俳句や和歌をつくるくらいに日本語に堪能だったらしいですから、ちゃんと国歌「君が代」が正立した当時の解釈を踏まえていると思われます。

  A thousand years of happy life be thine!
  Live on, my Lord, till what are pebbles now,
 By age united, to great rocks shall grow,
 Whose venerable sides the moss doth line.

 これだと、やはり小石が集まって巨岩になるという事がはっきりしてますね。もっとも、当時の英国は、ほぼ地質学が確立されていたので、科学的に解釈したという可能性もありますけど。あと、この英訳をみると「君が代」が天皇陛下の御代を意味しているのも明らかですね。

 ところで、地質学的には「さざれ石」が「巌」となるのは珍しい事ではなく、ごく普通の現象なのに、稀少な岩石だと誤解している人が多いようです。「さざれ石」が「巌」なったものは一般に礫岩と呼ばれます。
 例えば、みんな大好き大洗の磯前神社の海岸の鳥居が設置されている岩場は、典型的な礫岩ですね。あれは大洗層と言って、中生代白亜紀の終わりから古第三紀にかけて堆積した地層だと文献にありました。

大洗磯前神社下の海岸にある鳥居、岩場は一部に砂岩や泥岩を挟むが大部分は礫岩からできている。
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近づくと礫を大量に含んでいる事が判ります。まさに、さざれ石の巌となりて…ですね。
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色々なサイズの礫や砂などを不均質に含んでいるのが特徴です。昔の海底地滑りで出来たと考えられています。
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北側のひたちなか市の海岸には中生代白亜紀の地層があって、アンモナイトが見つかるので有名ですね。大洗層が中生代白亜紀の終わりから古第三紀にかけて堆積した地層とされているので、それよりもやや新しいのかもしれません。恐竜が滅びた頃の地層という事になるのでしょうか。

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