2018年04月30日

「海上保安資料館横浜館」(工作船展示館)

海保横浜_001.jpg
横浜の工作船展示館に行ってきました。ここには2001年に起こった「九州南西海域工作船事件」で海上保安庁の巡視船と交戦の結果、自沈するに至った北朝鮮の工作船を引き揚げて保管しています。
DSC03007a.jpg
工作船は漁船に偽装していますが、その能力は全くなく、四軸の推進器を大出力の発動機で駆動して30ノットを遙かに超える高速船でした。内部には日本への潜入工作用の小型船を収用できるようになっており、他にも水中スクーターやゴムボートを搭載しています。また多数の火器を搭載しており、日本の巡視船への攻撃も行われて海保に負傷者も生じています。当時の日本の某新聞は「沈没した船は『不審船』と断定はできない」とか「違法な戦闘行為」と主張して海保の対応を非難しました。果たして『不審船』がそんな生ぬるいものだったのか見てみる事にしましょう。
DSC03019a.jpg
工作船の船首部は鋭いV字断面で高速航走に向いた形状です。船体の傷みが激しいですが、船体を構成している鋼板はかなり薄いそうです。構造も脆弱で高速を出すために軽量化した結果かもしれません。
DSC03015a.jpg
後部からみたところ、船尾の舟艇収納部の観音開きの扉が一部見えます。全長は約30m、排水量は50トン弱です。黄色いのは自沈の時の爆発で損傷した船体の補強材です。
DSC03071a.jpg
最大の特徴である、船尾の観音開きの扉、舟艇発進と収納のためです。船の後部はこの収用部で占められており、前部はほとんどが機関部でした。上部の構造物も操舵室の他は多くが対空機関砲の収用部で占められており、乗員のためのスペースはほとんどありません。
DSC03059a.jpg
推進器は4軸で漁船ではまずあり得ません。戦闘艦艇並みですね。
DSC03055a.jpg
舟艇収用部の状況です。側面は燃料タンクになっています。奥は自沈の時の爆発で大きく壊れています。
DSC03057a.jpg
後部甲板の状況。元々はダミーの船室があって、収納されていた14.5ミリ対空機関砲をレールで引き出すようになっていました。煙突も偽装で排気孔は側面にありました、高出力の発動機を複数搭載している事を隠すためだったようです。
DSC03079a.jpg
操舵室付近、操舵室の後の区画にカマドがあり、この狭い区画で10人前後の乗員が生活していたと考えられます。
DSC03086a.jpg
第2機関室、搭載されているのはロシア製の高出力ディーゼルエンジン。
DSC03088a.jpg
前部甲板の状況、第1機関室が見えます、搭載している機関の総出力は4000馬力に達するそうです。その前にある開口部は内部にベースがせり上がるギミックがありました。本来は対空機関砲の秘匿用だったと推定されていますが、この船はゴムボートの収用部になっていました。船首付近には無反動砲の砲架があります。
DSC03090a.jpg
潜入工作用の搭載舟艇、漁船に偽装していますがボルボ製の高出力発動機を搭載。
DSC03078a.jpg
潜入工作用のゴムボートと水中スクーター。
DSC03054a.jpg
工作船を引き揚げた関係者が驚いたのは、搭載している武器の多さでした。これは14.5ミリ対空機関砲です。
DSC03065a.jpg
携行型の対空ミサイルと無反動砲。
DSC03026a.jpg
ヘルメットも発見された。
DSC03028a.jpg
巡視船あまみは自動小銃の射撃で負傷者を出しました。
DSC03030a.jpg
対戦車ロケット弾での攻撃を受けたことも判明しています。
DSC03029a.jpg
自爆用スイッチ。搭載舟艇からも爆発物が発見されています。最終的に工作船は爆発物で自沈しました。海保は生存者を発見しましたが、相手が抵抗を止めないために救助はできず、工作船の生存者はいません。
DSC03040a.jpg
日本の沿岸部の地図も発見されています。拉致被害者もこのような工作船の活動で連れ去られたのでしょう。
DSC03031a.jpg
北朝鮮側は現在に至るまで、関係を認めていません。
posted by はるなブログ(コミPo!を主に使った日記) at 19:44| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ日記

横須賀「蜜柑」文学碑

蜜柑_001.jpg
蜜柑_002.jpg
今日は仕事が早く終わったので横須賀に寄ってきました。以前から安針台の上から横須賀軍港を眺めてみたかったのです。予想通りに眺めは非常に良かったですね。ただ、左右の視界が限られるのと、植生に邪魔されずに写真撮影するのがちょっと難しいです。空母ロナルド・レーガンはよく見えます。
DSC02651a.jpg
多少手前に草が入ってしまいます。脚立を持って行けば良かったかも。
DSC02666a.jpg
安針台から吉倉に降りていく坂道からの光景も素晴らしいです。
DSC02670a.jpg
横須賀線の右側が吉倉公園です。トンネルの向こうはJR横須賀駅なのでした。
DSC02669a.jpg
吉倉公園はJR横須賀線の脇にあり、線路を挟んですぐ海になっています。
DSC02698a.jpg
吉倉公園には芥川龍之介の短編小説「蜜柑」の文学碑がありました。とても好きな作品なので感激しました。ただ、吉倉公園にあるのは横須賀線脇には他に適当な用地がなかったのでしょうね。ここは横須賀駅から最初のトンネルを抜けた場所ですが、小説を読むと二つ目以降のトンネルが舞台になっているのが判ります。ただ、確かにこんな線路脇の場所だったのでしょう。
DSC02763a.jpg
公園の女の子像もちゃんと蜜柑をもっています。にしても、今は横須賀は田舎という雰囲気はありませんが、大正時代の日本はまだまだ貧しかったのですね。
DSC02779a.jpg
芥川龍之介は結婚前は横須賀に下宿していたそうです。汐入駅の側でGoogle マップで検索するとこの位置だったみたいですね。
DSC02801a.jpg
汐入のイオン(旧ダイエー)では自衛隊装備の展示をやっていました。
DSC02803a.jpg
ヴェルニー公園散策、バラと軍艦をいくつか…
DSC02805.JPG
DSC02807a.jpg
DSC02809a.jpg
横須賀線で帰りました。芥川龍之介の気分を味わうためにグリーン車です。
DSC02860a.jpg

posted by はるなブログ(コミPo!を主に使った日記) at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ日記

2018年04月01日

横浜船渠(軽巡那珂と空母龍驤の生まれ故郷)その2

以前にこんなコンテンツをアップしたのですが。
http://haruna-blog.dojin.com/article/99720104.html
昨日、みなとみらいに行ったので改めて補足します。今は整然としたみなとみらいも昔はこんな感じでした。
横浜船渠その2_001.jpg
横浜船渠その2_002.jpg
posted by はるなブログ(コミPo!を主に使った日記) at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ日記