
これは横須賀側を望んだところです。新しい鉄骨とレールの構造物の境界が見えます。

良くみるとレール構造物と鉄骨構造物の境界でホームの形式も異なっています。レール構造物の範囲はホームが駅の構造物と一体ですが、鉄骨構造物部分は、明らかに後から追加されたものです。調べて見ると、昭和6年に湘南鉄道の始発駅であった黄金町駅に、京浜鉄道が野毛山にトンネルを掘って横浜から線路を伸長させました。日ノ出町駅はその時に新設された3つの駅(他は戸部駅と平沼駅)の1つです。レール構造物の範囲は当時のホームでその後に拡張されたのでしょう。歩測で測ってみたところ50m強の長さしかありませんが、当時はそれで間に合ったのでしょうね。ホームが短かった時はカーブもさほど影響無かったのでしょうが、現在は色々と安全上の苦労もありそうです。

横浜駅に近い平沼駅は、横浜大空襲で大損害を受けて廃駅となりましたが、ホームは現在も残っています。老朽化で撤去されましたが、何年か前まで架線支持のためにレール構造物が残っており、形状は日ノ出町駅にそっくりでした。ホームも非常に短くて昔の日ノ出町駅もこんな感じだったのでしょう。

古いレールを使った構造物は、いわば廃材利用と言えますが、複雑に組み合わさってアーチを描く姿はとても優雅で美しいですね。鉄骨建材が高価だった時代に古レールはポピュラーな材料でした。

品川側の跨線橋にも古レールが使われています。

上り線側昇降口脇の柱にはタイルモザイクで描かれた三浦半島の地図があります。

裏にも地図がありました。古レールがアーチを描いています。新しく三浦半島を結ぶ駅という意気込みの象徴でしょうか?

タイルモザイク地図は良くみると細かく表現されています。日ノ出町の位置のタイルが黒色です。

ところで、この古レールの由来は判らないでしょうか?メーカーはどこか?年代は?何か手がかりがないかとウロウロしていたら、親切な駅員さんが刻印が残っている場所がありますよと教えて下さいました。確かに何かが見えます。

読みにくいので、フォトショップでコントラスト強調してみたら、以下の文字が浮かび上がってきました。
BV&CoLD 1900 ?R
ボルコウ・ボーン株式会社(Bolckow, Vaughan & Co.)という英国イングランド北部ヨークシャー州ミドルスブラという都市にあった製鉄会社のようです。1900年製造ですから今から120年近く前の鉄道レールなのですね。最後の略号は発注した鉄道会社を示すようですが、はっきり読み取れませんでした。IJRであれば大日本帝国官営鉄道(国鉄)となります。八幡製鉄所が稼働して鉄道レールの製造を始めたのは1901年の事で、完全に国産に移行したのは1926年だそうです。このレールははるばる海を渡って英国からやってきたと思うと、見る目が違ってきますね。('-'*)

というわけで今日も赤い電車が走ります。

補足)
日ノ出町駅、開業直後の昭和7年の写真を発見しました。やはりホームは今より短く、古レール製の架線支持構造物も現在のままです。どうも手前にあるトラス式架線支持構造物もそのままらしい。ホームが伸長した時に埋め込まれているようです。

補足2)
発注者記号は最後のRしか判らなかったのですが、KR(関西鉄道)でした。関西圏のJRの元となった明治時代の鉄道会社ですね。跨線橋にもボルコウボーン1900年製レール(関西鉄道)が使われておりこらは刻印が良く残っています。
補足3)
レールに刻印があったボルコウボーン株式会社「Bolckow Vaughan&Co.Ltd」について。イングランド、ヨークシャー州のミドルスブラという町にあった製鉄会社だそうです。ミドルスブラはクエーカー教徒がつくった町で、地元の豊富な鉄鉱石と石炭の鉱床を利用した製鉄会社ボルコウボーン株式会社が発展しました。先進的な高炉技術によって成長して、日ノ出町駅の古レールを製造した1900年頃は世界有数の製鉄会社だったようです。しかし、第一次世界大戦の製品の多様化と技術革新についていけず1929年に倒産しました。ほとんど消滅といった感じだったようです。日ノ出町駅ができた1931年にはもう会社は潰れていた訳ですね。諸行無常。