2016年10月30日

多摩川絶対防衛線(続)

タバ作戦の続きです。再びタバ作戦の戦闘指揮所が置かれた多摩川浅間神社、今日は七五三の子供達で賑わっていました。
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ゴジラは奥に見える武蔵小杉の高層ビル群の方からやって来ます。
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集中砲火を受けつつ多摩川を越えたのはこの辺り。
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ここに多数の陸自の戦闘車両が配置されていました。
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その後F2の爆撃で方向を変えて丸子橋を破壊して、自衛隊部隊を戦闘不能に追い込みました。写真は丸子橋を川崎市側から見ています。ここから手前のスパンが破壊されました。
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落下した丸子橋で10戦車が破壊された多摩川浅間神社前の交差点。
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川崎市側はこの辺りを通過して多摩川を越えたはずです。
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武蔵小杉の高層ビル群です。ゴジラは綱島街道沿いに武蔵小杉に進んできました。中央に見える街道を挟んだビルの間を戦闘ヘリが通過して向こうにゴジラが立っているシーンがありました。
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下に示した映画のシーンでゴジラが立っているのはこの辺り、写真を撮影した場所の上空付近にヘリが位置していた筈です。
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武蔵小杉では、綱島街道と並行して、東横線(映画の俯瞰シーンで見えていた高架は東横線のもの)と横須賀線、新幹線が走っています。ただ、南武線は交差しているので破壊された可能性が大きそうです。
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武蔵小杉駅東口からみた高層ビル群です。ここをゴジラは通過していった。
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駅のホームからもよく見えたでしょうね。
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2016年10月29日

ヤシオリ作戦関連地

北の丸公園にある「科学技術館」に行ってきました。シン・ゴジラでヤシオリ作戦指揮所が置かれた場所です。昭和39年に科学と技術をテーマにしてオープンした博物館で、内部はリニューアルされてはいますが、昭和の面影を強く残す建物です。
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外壁の星印が特徴ですが、映画でもはっきり映っていました。建物の平面形も星印に似た形です。
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ヤシオリ作戦指揮所が置かれたのは、この付近の屋上です。
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星形はこのように穴になっています。これは東京駅方向です。
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星形から見える風景の拡大、ヤシオリ作戦指揮所からみたゴジラの方向です。
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科学技術館からゴジラの方向に歩いてみます。科学技術館とゴジラの間には皇居があります。皇居東御苑にある江戸城天守台はヤシオリ作戦指揮所とゴジラを結んだライン上にほぼ一致しています。
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天守台から北の丸公園側には科学技術館が見えます。
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拡大すると映画のヤシオリ作戦指揮所のシーンに一致します。
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天守台から東京駅方向を望む。ヤシオリ作戦指揮所からみた光景と同じ筈ですが、ビルが多くて視界が悪いです。映画の最後でクリアだったのは、ゴジラが丸の内側のビルをなぎ払ったからでしょう。結果的にビルがヤシオリ作戦指揮所の防壁になったのかもしれません。
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更に東京駅側、ゴジラの方向に進みます。
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大手門を抜けると、ゴジラ(東京駅)はもうすぐです。
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東京駅に到着、ヤシオリ作戦指揮所からの距離はさほどではありません。決戦の場ですね。映画ほどには八重洲側のビルが多くありませんが、それは映画に登場したビルの多くがこれから建設される予定のものだからです。
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2016年10月10日

北品川ゴジラ第二形態及び第三形態関連地

今日もまた北品川で「シン・ゴジラ」の聖地巡礼してまいりました。たぶん、蒲田くんはこっちの方から品川宿にやってきたものと思われます。
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しかし、そのまま八ツ山に向かうと坂にかかるので、熱いし辛いし、敬遠して直角に曲がった?
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ここは映画でも印象的なシーンでした。(クリックで拡大します)
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いかにも品川的な光景ですね。(クリックで拡大します)
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この辺りで再び八ツ山方向(手前)に向きを変えて第二形態から第三形態に変化してる筈なんですが、変化した時のシーンに元来た方の地点も映っているので、いったん引き返した可能性もあります。
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更にここで立ち上がる。品川くんの誕生です。後で右手の高層住宅を破壊して運河方向に遁走。
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品川くんが佇んでいたのはこの辺り。北品川駅と八ツ山の踏切を破壊。やがて攻撃ヘリが飛んできます。
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しかし、逃げ遅れた住民を偵察ヘリが発見。首相は攻撃中止を下命。人が居た踏切はここです。近くには他にも踏切があるのですが、背後に勾配があり高架も見えていたので間違いありません。
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上から観るとこんな感じ。現在日本で一番有名な踏切かも。('-'*)
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住民が避難していた品川神社、左手に見えているのは富士山のミニチュアである富士塚です。
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階段のシーンが映画にありました。
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富士塚の上からみた風景です。京急の高架の向こうを蒲田くんが街を破壊しながら通過。恐かったでしょうね。
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オーバーヒートした品川くんは再び海に還りました。運河に飛び込んだのはたぶんこの辺りかと。ちなみにこの奥は蒲田くん形態で1度通過している筈なんですが、品川くん形態でも通過しています。やはり1度引き返した?
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こっちに向かった筈なのですが、色々と壊していそうです。迷惑なやっちゃ。('-'*)
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壊したと言えば、ゴジラは京浜急行の車両をぶっ飛ばしてました。宙を舞う車両と共に一瞬映っていたのは、たぶん一番奥の警報器だと思われます。この八ツ山踏切と北品川駅の上り側が破壊されました。車両は第一京浜に落下。
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ゴジラに破壊された北品川駅のホームです。
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八ツ山鉄橋です。ここは東京の鉄道が集中している地点です。京急が身代わりになって他の鉄道を守ったとも言えるかも。映画の終盤は鉄道達の弔い合戦?(ここは終電ちゃん脳)下を無事だった京浜東北線が走っているシーンが後で出てきます。
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京急の八ツ山鉄橋は初代ゴジラが真っ先に破壊した構造物です。手前のアーチは昔の道路橋です。
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地元の商店街にこんな張り紙が。確かに、ここは北品川ですね。('-'*)
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こんな居酒屋もありました。店の前にゴジラの石像があります、しかも、そこそこ古そうです。考えてみれば初代ゴジラが東京に上陸したのも八ツ山でした。元々ゴジラに縁がある土地なのですね。もちろん、シン・ゴジラもそれを意識しているのでしょう。
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現地歩くとゴジラが見えてくる気がしますね。
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2016年10月09日

羽田沖ゴジラ第一形態出現

東京モノレール「羽田空港国際線ビル駅」に行ってきました。ホームの端にフォトスポットという写真撮影エリアが設置されているのです。映画「シン・ゴジラ」で、羽田沖においてゴジラ第一形態が出現したシーンがここから撮影されたらしいのです。
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フォトスポットに行ってみましょう。
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こんな光景が広がっています。
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映画の第一形態出現シーンはこんなのでした。(クリックで拡大します)
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映画のシーンとほぼ一致します。(クリックで拡大します)
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比較すると、映画では若干低い位置で左に若干寄っているようです。左に見えているテラス状の場所にカメラを設置して撮影したのではないでしょうか?
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動画も御覧下さい。


シン・ゴジラの聖地巡礼している女の子がいました(マンガは脚色されています('-'*))
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2016年10月01日

みんなで歌おう雪の進軍!

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ガールズ&パンツァーのプラウダ戦で、偵察に出た秋山とエルヴィンが歌っていた歌です。日本の軍歌で最も有名なもののひとつでしょう。作詞、作曲を手がけた永井建子(ながいけんし)はシャルル・ルルーに師事した陸軍軍楽隊の草分け的存在で、多くの有名な軍歌や楽曲を手がけ、陸軍軍楽隊隊長も務めています。雪の進軍は永井の日清戦争従軍体験が元になっていると言われています。

雪の進軍
作詞:永井建子 作曲:永井建子
1.
雪(ゆき)の進軍(しんぐん) 氷(こおり)を踏(ふ)んで
何處(どこ)が河(かわ)やら 道(みち)さへ知(し)れず
馬(うま)は斃(たお)れる 捨(す)ててもおけず
此處(ここ)は何處(いづこ)ぞ 皆(みな)敵(てき)の國(くに)
儘(まま)よ大膽(だいたん) 一服(いっぷく)やれば
頼(たの)み少(すく)なや 煙草(たばこ)が二本(にほん)
2.
燒(や)かぬ乾魚(ひもの)に 半(はん)煮(に)え飯(めし)に
なまじ生命(いのち)の ある其(そ)の内(うち)は
堪(こら)へ切(き)れない 寒(さむ)さの焚火(たきび)
煙(けぶ)い筈(はず)だよ 生木(なまき)が燻(いぶ)る
澁(しぶ)い顏(かお)して 功名(こうみょう)談(ばなし)
「粋(すい)」と云(い)ふのは 梅干(うめぼ)し一(ひと)つ
3.
着(き)のみ着(き)のまま 氣樂(きらく)な臥所(ふしど)
背嚢(はいのう)枕(まくら)に 外套(がいとう)かぶりや
背(せな)の温(ぬく)みで雪(ゆき)融(と)けかかる
夜具(やぐ)の黍殻(きびがら) シッポリ濡(ぬ)れて
結(むす)びかねたる 露營(ろえい)の夢(ゆめ)を
月(つき)は冷(つめ)たく顏(かお)覗(のぞ)きこむ
4.
命(いのち)捧(ささ)げて 出(で)てきた身(み)ゆゑ(え)
死(し)ぬる覺悟(かくご)で 突喊(とっかん)すれど
武運(ぶうん)拙(つたな)く 討(う)ち死(じ)にせねば
義理(ぎり)に絡(から)めた 恤兵(じゅっぺい)眞緜(まわた)
そろりそろりと 首(くび)締(し)めかかる
*どうせ生(い)かして 還(かへ)さぬ積(つ)もり

**どうせ生(い)きては 還(かへ)らぬ積(つ)もり

軽快な曲調ながら、実体験に基づいた美化されないリアルな戦場描写とそこはかとないユーモアが特徴です。

「粋(すい)」とは「粋(いき)」な話のこと。それを「酸(すい)」に引っ掛けて、戦場には粋な事なんてなく、梅干しくらいだねという意味。辛酸にもかけているのでしょう。
「恤兵眞緜」とは戦場の兵士への慰問品の真綿のこと、植物の綿ではなく、絹を取る蚕の繭をほぐして作ったもので、防寒用品として昔の慰問品の定番でした。戦場の兵士への期待を真綿に例えて心理的な重圧を表現しています。「真綿で首を締めるような」という言葉もありますよね。
*は、俺たちが生還するより勇戦して戦死する事を期待しているのだろうな…という自嘲じみた結びですが、かなり際どい内容なので、昭和に入ったずっと後に、**に歌詞が修正されてしまいました。これだと真逆の意味になってしまいます。秋山とエルヴィンが歌っていたのはこれです。
もちろん永井には反戦的な意図など無く、素直に戦争を描写したのだと思います。大半の兵士が気にせずに歌っていたようですし、大山巌元帥はこの歌が大のお気に入りだったそうです。明治は大らかな時代だったのでしょう。
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